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MONTHLY ARCHIVE : 2004.12

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12.31,2004 CATEGORY: Free

Re-In the chikyu 2004

場所は阿佐ヶ谷。
チェーン店に囲まれつつも健気にがんばっているカフェ。
  
カフェ・ポトロ
  
おじいさんなマスター。
おばあさんなウェイトレス。
二人は夫婦だ。
店内はぼく以外には誰もいない。
ぼくはカニのトマトクリームパスタにコーヒーを注文した。
マスターが作り始める。
その間、ぼくは様々なことを考えていた。
デニーズに行くつもりが、入ってしまったこの喫茶店。
60年代ロックがかかっている。
これはまるで村上春樹の世界ではないか。
ぼくは受け取ったタオルで冷えた手を温めながら、くだらないことを思いつく。
独り春樹ごっこ、に酔いしれるぼく。
いや、独りじゃないな。
マスターにウェイトレスがいる。歳は少しいっているけれど。
ぼくらは仲間だ。
にっくき魔王を打ち滅ぼすために集まった同志。
魔王の名前は「アフターダーク」だな。
デニーズのチキンサラダを春樹マジックで粉々にするのだ。
どうだ!まいったか!チキンサラダめ!!
   
魔王は倒れた。
ぼくは満足して、次なる物思いにふけってゆく。
やっと具体的なカタチとして表現され始めた「In the chikyu」。
始めて良かったな、と思う。
単純にうれしい。
verの具体的な更新予定日は決まっていないけれど、企画はいくつか考えている。
まずは、音と映話索引。
索引については、少し煮詰めていく必要があると思っている。
映画を観終わった後に、思い出しながら弾くアドリブを乗せたら面白いかもしれない。
全ては落ち着いてから。
   
この場で書かれるFF日記が楽しみだった。
もともとぼくは、何かとFFを絡めて1つの日記を書きあげていた。
その書き方は確立されていたし不満もないのだけれど、
いまいちFFをプレイしている感覚が伝わってこない。
この日記にSSが合わさると、何が生み出されるのか。
結果には満足している。
冬だからか、他の内容からなのか、ハジケタ文章はまだ少ないけれど。
ゲームも文章もまた継続してやっていこうと思う。
ゲームのほう最近まったくやっていないんじゃー、とかいうツッコミきたら泣いちゃうよ?
   
基礎を作る、という方針で力を入れてた映話。
ある程度書き方は確立されたと思う。
まだまだ、迷っているのだけれど。
   
公式HPのあらすじ範囲内で、魅力的なあらすじを書き上げる。
脚本、演出について書き、個人的な感想を少し書く。
映画周辺の興味がわいた情報について書く。
基本的には未見の人向けで。
   
つまり、これから映画を観る人の方向性を探る手助けをする、というのが目的だ。
個人的な感想と周辺情報があるため、観終わった人には向いていない、という文章ではない。
目的は果たされているのだろうか。
分からない。
今、このHPは「ベルヴィル」と「レディ・ジョーカー」の検索で来るお客が多い。
ぼくはたいしたことを書いていない。
少し申し訳ない気持ちになった。
映画後の詳細な分析を書く必要性を感じている。
でも、これはどうなのだろう。
詳細な分析にニーズはあるのだろうか。
また、ぼく自身にとってそれはプラスとなりうるのだろうか。
お金を取る文章について考える。
彼らの書いていることは、どれほどのものなのか。
ぼくはそこに、どこまで迫れているのだろうか。
  
当面は迷いつつ、このまま書いていこうと思う。
詳細な分析、なんて数をこなすと物理的に出来ないだろうな。
あらすじに関して言えば、低評価なのに面白そう、
と思わせたらぼくの勝ち、という個人的ゲームが出来上がりつつある。
今のカタチもこれはこれでいいかなー、なんて自己満足中。
映画は楽しいもの。
基本的にはソコを表現していきたい。
弱小Blogなのに、表舞台へ立たされてしまうほど書き手の少ない映画について、なんて特に。
「犬猫」は本当に心配。
「ビハインド・ザ・サン」の興行も。
素敵なものを埋もれさせないために。がんばろ。
   
素敵なものを掘り起こす作業として「げんきなマドレーヌ」があげられる。
誰も見向きもしないと思われた、この記事。
静かな静かな静かなブームとなりつつある。
こんなのあるよ。
が、伝わると書いていて良かった、と思う。
   
だから、まじめ路線濃く書いていっちゃってるのかなぁ。
まぁ、いいや。
とにかく書いていて良かった。書くのが好きだ。
というお話。
またまた、きっかけをくれたアイルに、ありがとう。
「こらメアリー」を書き始めて来年で6年目か。
2005年もこのままな、あうーん、な感じで生きてくでー。 read more
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12.30,2004 CATEGORY: Free

こらメアリー・アワード -2004-

今年の総括。
暗い年という声をよく聞くのだけれど、
最近の1年とはこんなもんじゃないかな、なんて思ってる。
まずは、勝手にCD名盤選定から。
   
該当作品、なし。
   
始めていきなり、これはどうかとは思うのだけれど。
何かないかな、と考えなければ思い出せないほど2004年発表作品は層が薄かった。
今年何を聞いていたかというと、パッヘルベルやバッハ、と古典ものが多かった。
坂本龍一の「CHASM」「/04」は面白かったのだけれど、名盤かというと疑問符が付く。


上原ひろみの「BRAIN」も面白かった。
前作のほうが勢いと瑞々しさが、
湧き水のごとく溢れきっていて良かったのだけれど、
今回もそれはそれで楽しめた。この人、才能あります。
ぼくが言うのも何だけれど。

個人的に一番聴き込んだのは「H&A」。
これは岩井俊二監督作品「花とアリス」のサウンドトラック。
作曲者が何と岩井俊二、その人。
多彩だなぁ、とは思うけれど褒めるほどの音楽でもない。
何故、聴いていたのかというと小編成を好むぼくの嗜好があり、
岩井俊二の感性がそこにあったから、と言える。
「H&A」20041230170101.jpg
恐らく名盤なのだろうし、その筋のファンにとっては宝物なCDが1枚出ている。
これをぼくは賞するべきなのだと思う。
それでも、受賞させないのは(受賞も何もないのだけれど)、
個人的に最も好きな「ソナタ・ファンタジー」が入っていないせいだ。
そのCDはアムラン弾くカプースチンアルバム。
今最も盛り上がっている作曲家であり、ピアニストも録音も文句なし。

個人的には作曲者自身の演奏より好き。
自分の目指すタッチによるところが大きいのだけれど。
が、ここまで褒めておきながら、ぼくはこのCDをほとんどといっていいほど聴いていない。
ピアノアルバムは、何回か聴くとどうしても放置してしまう。
いつもそうだ。
資料として後々聴くことはある。
それ以外は、特になし。
ぼくがウォークマンを持たない理由が関係しているのかもしれない。
いつも何か音が頭の中で鳴っているのだ。
うるさくて仕方がない。
無音が良い。だから、持たない。
   
うーむ。本当にないなぁ。
久石譲の「ピアノストーリーズ4」が来年発売になったのがいけないのかもしれない。
ハウルの「人生のメリーゴーランド」は素晴らしかった。
ただ、アルバム単体として名盤かというと、それはまた別の話。
気になっているのはエリック・テリュエルの新盤。
ぼくはまだ聴いていない。
というか、ほしかったのにお金が、その、あり、ません、でした。
エリック・テリュエルはフランスのJazzピアニスト。
スピード感、具合の良いアドリブ、耳に心地よいメロディー、
その全てを高次元で実現させているピアニストは少ないのではないか。
ぼくは輸入版の「gone away」というCDでこの人を知ったのだけれど、
それ以外に発売されている3作品は未聴。
というのも2作は最近発売されたばかりなのだ。
いよいよ、本格的に日本デビューか。
大体年に1,2は良い音楽に出会う計算だから、やっぱりこの人の新盤がそうなのかもしれない。
来年、買わねば。
まだまだ、マイナーなピアニストだから積極的にプッシュしていこう。
「In the chikyu」がマイナーですよ、とか野暮な話は、あっはっは。
   
音楽はここまで。
次は映画、といってもこれが最後なのだけれど。
本、ゲーム、漫画と語っても良いのだけれど、
まだあまり取り上げていないので今年はここまで。
   
映画は迷わなかった。
最優秀作品としてあげたいのはコレ。

ティム・バートン監督作品「ビッグ・フィッシュ」。
レビューは書き上げていないのだけれど、これに勝る映画はなかったと思う。
今年は後期に良作が多かった。
けれど、前期で光っていた「ビッグ・フィッシュ」がそのまま粘り勝ち。
父と子の関係。
幻想と現実、これこそまさに幻実と呼びたくなる作品。
見終わった後、文句なしで素敵な気持ちになれる。
   
次点にあげたいのが「エイプリルの七面鳥」。
これは9点を付けていたのだけれど、マイナスは私的な理由。
それを置いて、やはりぼくは好きだということを認めよう。
しかし、考えてみれば「ビッグ・フィシュ」と同系統なのだ。
  
「ビッグ・フィッシュ」が父と息子。
「エイプリルの七面鳥」が母と娘。
   
これは偶然ではないのだろう。
ぼくは「ウォルター少年と夏の休日」に相当な期待をかけていた。
母と少年。少年と叔父。
これは期待ハズレだったけれど、やはりこの系統に弱い。
  
少し個人的に賞賛したい人物を並べてみようと思う。
   
最優秀監督賞:ティム・バートン
最優秀脚本賞:三谷幸喜
最優秀主演男優賞:吉岡秀隆
最優秀主演女優賞:シャーリーズ・セロン
最優秀助演男優賞:ティム・ロビンス
最優秀助演女優賞:パトリシア・クラークソン
最優秀音楽賞:久石譲
最優秀撮影賞:篠田昇
  
何も生まないし、押し付けもしない「こらメアリー・アワード」はこれでおしまい。
ティム・バートンはいいとして、三谷幸喜と吉岡秀隆は今までの功績を考慮したもの。
「笑いの大学」は映画とし面白かった。
「新撰組!」や舞台活動などから言って、やはりサスガの一言。
吉岡秀隆は作品に恵まれている。
自身の目も良い。
まさか、新海監督作品に出るとは思わなかった。
「Dr.コトー」が国民的ドラマに成長することを信じてやまない。
シャーリーズ・セロンの演技力は疑うところのない確かなもの。
キレイで上手くて、言うこと無し。
ティム・ロビンスの存在感は凄い。
「ミスティック・リバー」は良かった。
パトリシア・クラークソンは主演と言っても良い「エイプリルの七面鳥」から。
久石譲はその全作品を知るものとして3本の指に入るメロディーを評価してのもの。
篠田昇は今年、残念なことにこの世を去ってしまった。
彼の撮影は空気を切り取る。
本当に惜しい人物を失くしてしまった。
若い監督たちは彼が安心して眠れる作品を生み出してほしい。
岩井俊二に行定勲監督のことだ。
   
「ロード・オブ・ザ・リング」にまったく触れていないところが面白い。
本当にぼくらしい選定。
これらに少しでも頷ける人がいたとしたら、キミとぼくとはお友達、かな。

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12.29,2004 CATEGORY: 最近、思うこと

最近、思うこと

東京初雪。
これほどまで、ぼくを痛めつけた雪はなかったと思う。
寒い、を通り越しての痛い。
ぼくは独り吉永小百合ごっこをしたくなる。
北の零年予告編での「あなたぁ……、あなたぁ……!」なシーン。
BGMはホルストの惑星、ジュピター。
理性が声を上げて制止するからやらなかったけれど。
あの寒さじゃ、そうも言いたくなるわなぁ、とか一人で納得してた。
そんな初雪、in東京。
   
20041229191748.jpg
最近、アニメーションを取り上げる機会が多い。
悪いことではないと思う。
むしろ、そこにこそぼくが書くべき要素があるのではないか。
作る側の責任があるとするならば、見る側の責任があると考える。
この重い責任を背負った作品たちを正しく見てもらうための努力とは、
それを応援する側の役目ではないか。
製作者サイドがいくら発言したところで、たいした意味はない。
製作者サイドの発言を汲み、生の声をあげることに意味がある。
本当に良いものを良いと言える環境を作ること。
批評家ではダメだ。
マーケットを意識した時点で。
悪いところはもちろん悪いと言うけれど、埋もれた正しさを伝えて行きたい。
その最たる例がアニメーション、なのかな。
日本ドラマを見るなら日本アニメを見たい、と思う。
ドラマがないドラマより、ドラマあるアニメ。
映話の明確な目的が出来始めている。
   
20041229214212.jpg
これを展開させるにあたって、障害となるものが「萌え」。
ぼくが何というと関係なしにマーケットとして成り立つ萌え層は存在する。
    

最たる例「萌える英単語もえたん」。
初めて書店で見つけたとき、目を疑った。
これは何なんだ。この病原体は。ここに。あって。いいのか。
手に取ってみるかどうか、迷った。
人目をはばからず?いやいや理性との格闘か?
好奇心は止められない。
結局、ぼくは正々堂々「もえたん」を手にとってパラパラと眺め始めた。
……内容が、笑える。
例文がとにかく個性的。萌え。
実用性なんて意味のないことは語らない。
「もえたん」がウケている理由は結局「萌え」でしかないのだから。
これを商品として成り立たせる日本が在ることぐらいは記憶に留めておいても良いかもしれない。
面白いので目次の一部を引用しておく。
   
かわいい子には旅をさせよ
   
危険だ。
誰か止めてくれ。
というか、もう目次の意味が分かりませんヨ。
  
20041229220022.jpg
愛車(遠い未来の)です。
ついに「GRAN TURISMO4」が発売された。
「THE REAL DRIVING SIMULATOR」は譲らない。
他社が、3の後何作かこの路線のレースゲームを出している。
しかし、どれ1つとして当たりはなかった。
まさに「GTを超えるのはGTだけ」という状況なのだ。
王者は気を緩めない。
飽くなき探究心、欲求。
レースゲームのミハエル・シューマッハ。
オンラインの導入見送りで、
単なるアップデートになってしまったけれど、期待通りの進化をみせている。
ぼくとしては「TOYOTA GT1 TS020 3号車」が加入しただけでも買いだ。
   
今回の目玉は新しい遊びを提唱した「B-Spec」モード。
これは自分で操作せずに、ドライバーへ指図しながらレースを進めて行くモード。
シミュレーション要素が強い。
とはいえ、操作は簡単。
1~5のペースの強弱指示、オーバーテイク指示、ピットイン指示、これだけ。
が、それが面白い。
ぼくが待ち望んでいたモードかもしれない。
基本的なモードである「A-Spec」ではレースゲームである以上、
それなりの集中力が要求されている。
それは良い。
良いのだけれど、そればっかりでは疲れてしまう。
もっと落ち着いた立場で、車の良さを味わいたかった。
この指示するドライバーは成長していくため、育成要素も楽しめる。
あぁ、ますます完璧なゲームになっていく。
ズルイなぁ。ズルイ。
エンスーなみなさんが悶える様子が目に浮かぶ。
   
さらにエンスー発狂モード。
な、フォトモードというものがある。
これは文字通り写真を撮るモード。
USBメモリによりPCへの取り込みも可能。
GTを通して深まる交流、か。
GTSSサイトも出来そうだなぁ。
   
CM女王は「あやや」だそうな。
日本人は少女が好きだ。
似たような文化とされる韓国にはない要素なのではないか。
よくは知らないけれど。
本数で言えば長谷川京子だと思うのだけれど、こちらは真剣に好感度がよろしくない。
何故か。知らない。
長谷川京子の何がいけないのだろう。
ライバル視されてしまう要素を持っているところだろうか。
少女は願望によるところが大きい。
大人も大変ね。
   
津波、が起こった。
大きい。「大きい」という言葉では収めきれないくらいに。
日本人が何名死んだ、という悲しみ方はよしてくれ、と思う。
日本人の安否を気にするな、ということではない。
何十万単位で人が亡くなっているのに、数十名の日本人に焦点を絞るな、ということだ。
責任追及もよしたほうが良い。
100年に1,2度の出来事に、
しかも実際に目にした事のない出来事に、早急な対策を施す国などない。
それよりもっと早急に対策すべきところを優先するのは当然のことだ。
これは、不幸としか言いようがない。
自然の力。
完全な自然なのかは分からないけれど。
後日、調べるかもしれない。
   
叔母が今、サハラ砂漠へオカリナ吹きに旅に出ている。
変わった叔母だ。
ぼくと気が合う。
曲は「月の砂漠」だったかな。
まったく、よくやるなぁ。
本来はフルートを習っている人なのだけれど、
砂漠に持っていけないので、オカリナを1ヶ月習ったらしい。
サハラ砂漠には10日ほどいるそうで、もちろん野宿。
コックにツアー会社の社長。
それと変人が叔母に加えて3名いる。合計5名で旅する砂漠。
その前はアフリカで野宿しに行ってたな。
叔母はきっと津波のことを知らないだろう。
なんたって知る方法がない。
電気も電波もなく、あるのは砂と太陽と月の世界。
素敵だな。
       
情報とは何か、と考えさせられる。
津波がどうあっても、叔母は砂漠でオカリナを吹くだろう。
ぼくのニュースに対する思考は変わっていない。
過去分、引用。
   
どんなNEWSであれ知る必然性はないと思っている。
世間を騒がしている事件に心を痛める。
被害者に深い同情を寄せ、犯人を憎む。
その感情を否定しているわけではない。
その時抱いた感情によって、人生が変わることもあるだろう。
しかし、その行為は賛美に値するものではない。
もちろん、卑下するわけでもないけれど。
事件を知っている者も、
同情という言葉すら浮かばない無関心な人間と同じ立場であるということだ。
知ることによって生じる可能性はある。
どんなことにも可能性はある。
知らない人間の可能性が狭まるのは言うまでもない。
重要なのは、選択する自由の中でフェアに選び取っていく時、全ては平等であるということだ。
   
ぼくは偽善者ではない。
とてもインパクトのある事件を知らなかった場合、あきれ顔でこう言われることもあるだろう。
「なにお前、知らないの?こんなに大変なことが起こっているのに・・・・・・」
だから何だ。
知っていたから何だというんだ。
    
社会情勢がどうのこうのというつまらない問題は関係ない。
テレビや新聞に触れる必要性を感じない人間を肯定しているだけだ。
そんな考えを持っているぼくだから、どんな事件が起ころうとも身体全体で同情することはない。
同情が生まれたとしても、無害なレベルでしかない。
そして、多くの人間にとってNEWSから生まれる同情はその程度のものでしかない。
NEWSの規模は問題ではない。
何処で戦争が起ころうが関係ない。
そう思っている。
    
叔母を「こんなときに……」と一笑するヤカラを嫌う。
もちろん、叔母が津波のニュースを知れば、
同情の気持ちが生まれるだろうことは言うまでもないけれど。
大変だ。大変だよ。これは。
それでも日本の関心は正月へと向かう。
イラク帰りの自衛隊は何を考えているのだろう。
   
ぼくの関心ごとも年月へと向かう。
今年も、あと2日。
明日は2004年度映画の総括でもしようか。
後方了解、前方不注意、本日帰結。

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12.28,2004 CATEGORY: 映話

東京ゴッドファーザーズ

評価:★★★★☆
監督 原作:今敏
脚本:今敏 信本敬子 企画:丸山正雄 音楽:鈴木慶一 ムーンライダーズ
キャラクターデザイン:今敏 小西賢一 美術:池信孝 アニメーション製作:マッドハウス 時間:92分
出演:江守徹 梅垣義明 岡本綾
20041229185156.jpg
「パーフェクトブルー」「千年女優」と続く今敏監督の3作目。
今敏は「実写じゃダメなの?」という作品をよく作る。
よく、というより全てそうなのだ。
アニメーションは自由だ。
しかし、現実はどうだろう。
美少女にロボット、SF世界、これらで限定されてしまっている現状。
作り手が可能性を狭めている。
いや、本来的に狭めているのは、主に見る側であるぼくらかもしれない。
見る側、ターゲット。
ここを狙っていかなければ、まず商品として成立しない。
けれど、その成功とは一体何なのだろう。
美少女、ロボット、SFの先にあるものはいわゆるオタクだ。
アニメはオタクのもの。
そこにアニメーションの未来はないのだ。
今敏は、切り開く。
日本が開き、日本が狭めたアニメーションを。
が、今敏監督の次回作は、それを逆手にとったSFモノであることが決定している。
実写がどうの、という話題を一蹴するためとか違うとか。
それはそれで興味深い。
   
ホームレスのベテラン、ギンちゃん。
元ドラッグクイーン、ハナちゃん。
家出女子高生、ミユキ。
   
3人はれっきとしたホームレスだ。
経歴バラバラ、気が合ったから気の合ったダンボール箱に住んでいる。
今日はクリスマス。
3人には教会の施す食料にありつける、というただそれだけの日だ。
マリア様はヴァージンで子供を生んだのだから、
オカマのアタシにも出来るかも、なんてハナは夢を見ている。
銭にも食料にもならねぇ話を後に、本物の食料には大満足なギン。
ミユキは「天使の涙」という看板の上から人に向かって唾を垂らしている。
ストライク。ミユキの涙が人に当たった。
    
聖夜で街は大賑わい。
いたるところで祝福ムード。
ミユキはそれが気に入らない。
ギンは何とも思っていないか。さすがベテランホームレス。
ハナは乙女、オカマの乙女、ウキウキしながらミユキのクリスマスプレゼントを探している。
イライラをギンに当てつけるミユキ。
それを返すギン。
とうとう二人は喧嘩を始めてしまった。
わめく、殴る、蹴る、どなりあって……「オギャアァァアァ!!」。
突然、その場に鳴り響く声。
3人は手を止めて耳を澄ませる。
声の先……、ゴミ……、奥……、いた。
そこには赤ん坊、捨てられた赤ん坊がいた。
ハナはうれしそうに言う。
「この子は神様がアタシたちにくれたクリスマスプレゼント!アタシたちの子供よ!」
   
……エ?
   
「清子はアタシたちに見つけてほしかったのよ」
ハナはすでに名前まで決めてしまっているらしい。
ギンとミユキは説得する。
オレたちに何が出来る。
何たってオレたちはれっきとした正真正銘のホームレスだ。
とにかく、警察に届けたほうが良い。
ハナは聞かない。
アタシの夢が叶った。この子はアタシたちのものよ。
オカマの母性、留まるところを知らず。
    
そうは言っても、ハナは理解していた。
親が子を想う気持ち。
簡単に捨てるとは思えない。
こうなったらアタシが聞き出してやる。
それで納得出来れば許して清子を渡すわ。
こうして、3人は何故か何故か聖夜の夜明けに捨て子の親を探す旅に出る。
  
鴻上尚史も言うとおり、このストーリーは実写では意味がない。
美少女が出て、その美少女によっちゃぁ観るのだけれど、それだけではない面白さがある。
今敏はその面白さを伝えたい。
魅力的なドラマがあり、画がある。
日本人の責任、提示。これが日本のアニメーションだ。
   
基本的にエンターテイメントでありたい、という発言の通り作品は徹底したエンターテイメント。
偶然と奇跡の巻き起こす物語は、観る者を飽きさせない。
そしてその偶然性は韓流のソレとは違って、心地良い。
張り巡らされた伏線、結末の巻き起こす情感には感服させられる。
それを支えるテンポ良い演出。音楽。
   
ムーンライダーズの歌う「No.9」は、あのベートーヴェンの傑作だ。
これは今敏の指名。
日本の年末は第9と決まっている。
そうNHKが決めたのだ。
国立音大のバイトが歌う第9、この物語にはその第9がどうしても必要だった。
鈴木慶一はただでは使いたくなかった。
考えたすえ、彼は第9にレゲエを取り入れる。
これがまた、たまらなく楽しい。
   
キャスティングが素晴らしく、キャラクターが活き活きと動いている。
3人のホームレス。
これはやはり実写では成り立たない。
そのホームレスの住む街、新宿。
キャラクターも素晴らしければ、その背景も文句なし。
抜群の写実性は都会に住むものなら、目の前に光景がダブッてくる。
あぁあぁ、あの場所か。
この背景は本当に素晴らしい。
日本トップと言っても良いと想う。
    
物語には現代の社会性が色濃く反映されている。
エンターテイメントであるため、暗過ぎない程度に。
色々な監督がいるけれど、ぼくはこの今敏監督が一番好きかもしれない。
何度も観直している。
観直すだけの魅力がある。
狙いすぎるスナイパーに、のこのこ何度でも撃たれに行く。
  
一度、撃たれてみることをオススメします。 read more

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12.27,2004 CATEGORY: ゲームのこと

ABBEY ROADによろしく


繰り返し聴いていた。
The Beatlesのラストアルバム。
色々あったけれど、これで最後だ。
「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」から始まる彼らの魂には、いつも涙腺を刺激される。
ダメだ。
また泣けてきた。
17トラック47分26秒の奇跡。
47分26秒が過ぎると、再び始まる47分26秒に涙をそそられる。
何だろう。もう、バカみたいじゃないか。
あぁ、また泣けてきた。
20041227142224.jpg
一見して、ただただキレイなクリスマスツリー。
ぼくはこいつにプロミヴォン・ホラボスを重ねて見ていた。
FFから遠ざかった最も大きな理由は、悪意のない銀のナイフ。
痛かった。悪意がないのでなおさら。
そして、ぼくは何もかもがどうでも良くなってしまった。
自分の年齢を考える。世代を。
そんなものだろうか、と思う。
ぼくは幻想を抱いていて、その幻想にしがみついて、全てを拒んでいる。
ファイナルファンタジー。なるほど。

結局は、自分のやれる範囲で、自分らしく生きて行くしかない。
どうでも良いなかで、やれることをやっていこうと思った。
もちろん、根幹にあるものは楽しむというココロ。
楽しくなければ、ぼくはやらない。
その間……、「天使」と表現しても良いかもしれない。
「天使」な彼は様々な面でぼくを助けてくれた。
20041227143107.jpg
ぼくというかLS全体「HolyDrops」を。
この名前は皮肉なものだな、と思う。
皮肉性については言及しない。
彼?彼女がいない状況を考えると恐ろしい。
もしかすると、2,3名は引退ということもあったと思う。
暗転と好転。
好転へ向いて本当に良かった。
フェンリルを倒して、タブナジアに。
そんな状況は考えていなかった。
ぼく以外にも「ありがとう」を言いたい人はいると思う。
むしろ、もうすでに言ってるのかな。
ま、正面むいて言うのも恥ずかしいし、ここでいっとこ。
    
ありがと。
  
20041227144819.jpg
「ABBEY ROAD」はまだ渡れない。
代わりにぼくが渡ったもの。
渡らされたものたちを置いておこうと思う。
サムネイル表示のやり方がわかったので、ここからは全部サムネイル。
数が多いから一枚一枚というわけにはいかないけれど。
写真は感性?、Sizuku的な画かもしれない。
20041227150924s.jpg
20041227152239s.jpg
20041227154139s.jpg
20041227153717s.jpg
20041227153424s.jpg
20041227154612s.jpg
20041227154748s.jpg
20041227155448s.jpg
20041227155537s.jpg
20041227160009s.jpg
20041227160346s.jpg
20041227160846s.jpg
ねぇ、
20041227161138.jpg
前に進めたのかな?

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12.26,2004 CATEGORY: Free

ピエロはワルツが踊りたかった

かろやかに。
20041226191857.jpg
ぼくは読み手の想像に頼った文章を書く。
良くも悪くも、それがぼくの文章だ。
しかし、書き手であるぼくは想像というものを理解しているのだろうか。
ぼくはピカソが理解出来ない。ピカソの絵の価格が理解出来ない。
絵から感じられる何か、は確かにあると思う。
それは情報がそうさせるのかもしれないし、本当に絵自体が力を放っているのかもしれない。
分からない。
1つだけ確実なのは、ぼくはピカソの本物を欲しいとは思わないということだ。
かつての現代音楽全盛期の匂いが感じられる、気もする。
それとも、これはぼく自身の想像力の欠如を示唆しているのだろうか。
   
想像力の欠如。
日本人は想像力に欠けている、ということを聞く。
本当にそうなのだろうか。
ネット上に溢れた生の声を嘆く人々がいる。
彼らの戯言に過ぎないのではないか。
真相は分からない。
   
ぼくは、評論の基礎に欠けているのかもしれない。
最近、そう思う。
完全な客観性を持っていない。
想像力の欠如を指摘するということは、
よりマクロな視点を持ち、人間性を排除した機械的方向性を打ち出すということ。
ぼくは神ではないから、同じ人間の欠陥を指摘するということがはばかられる。
そこがSizukuなのだろう、とも思う。
友達は手を叩いて歓迎してくれるかもしれない。
けれど、評論家たちは甘いという、かもしれない。
   
書き手として思う。
読み手の想像力の欠如を指し「お前はダメだ」とすることは禁忌の行為なのではないか。
それを言ったら「おしまい」だ。
いくら、素敵なことを放っていようと、作品の品位は薄れる。汚れる。
    
だから……、やっぱりぼくは、ぼくでいようと思う。
Sizukuの欠陥を挙げておこう。
プロに対する客観性を同列の人々に当てはめられない。
色々な意味でピエロな奴かな、と思う。
未熟なピエロ。気は確かだけれど。
次のステップはまだ踏めない。
それでもいつか、気持ちよくワルツを踊ろうと思う。

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12.26,2004 CATEGORY: ゲームのこと

Sizukuの2004年12月26日

20041226162909.jpg
今日、発売だったような気が何故か何故かして、急いでお店にかけこみました。
今から10分前に。
もちろん、ありませんでした。
いや、もう、何も言わないで……。

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12.24,2004 CATEGORY: 映話

レディ・ジョーカー -ura-

ぼくが言いたいことはすでに書いたつもりなのだけれど、
念のため補足というカタチで少し付け足しておく。
そのため、本編の内容に積極的に触れていくかもしれない。
念のためついでに言っておくと、
これは個人へ向けられたものではなく全体へ向けられた文章だ。
言葉はそのつど意味を変容させていく生き物。
ここに書かれた文章には、それに伴う意味がある。
   
今回は、想像というのが1つのキーワードとなっている。
これは今さっき考えたことなのだけれど、
この物語に限っては想像というものは存在しないのではないか。
もちろん、そこには想像が存在し、人々は確かに想像するのだけれど。
与えられた情報を並べる。
それらを適切な位置に当てはめる。計算。
導き出された答え。それを理解と言う。
この点において、ぼくは否定したことは一度もない。
この映画は「ただ、事件が起こった」ということに関しては描き切っている。
   
それだけだ。
その事件を理解出来ないという人が想像力不足だとは思わない。
必要なピースを拾い忘れた、気付かなかったということもありうる。
劇場映画は好き勝手にストップをかけられない。
予想される答えを受け入れられなくて、理解出来ない、ということもあるだろう。
そのため想像力不足と切り捨てることは安易な言動であり、
また情報が全てそろっていながら理解出来ないと言う人間には、
「お前は頭が悪い」と表現することと同義になってしまう。
こうなっては映画の良し悪しを評するどころの話ではない。
ぼくは「お前は頭が悪い」と指差す人達が嫌いだ。
   
映画の評価は、観る人々の数だけ存在する。細かく分ければ。
ぼくが悪い、とした映画を好む人は絶対にいる。
そうでなければマーケットが成り立たない。
だから、良かった、とする人を斬りつけるようなマネはしない。
狭い視点は損をする。
    
映画の話をしよう。
演出については何も言わない。
映画そのままの情報から不足していると思われるものをあげる。

犯罪動機。
必要なピースは置かれていると思う。
アンちゃんを見て育ち、アンちゃんを看取り、清三はビール会社の看板を見上げた。
それら周辺に関わる情報。
犯罪へのスイッチは、静かに押される。
そのために名前を借りた。
   
「レディ・ジョーカー」
   
レディの抱えた問題。ジョーカーの意味。
情報は十分だ。
ただ、そもそもの設定は分からずじまい。
分からなくとも十分なのだけれど、気になる気持ちは嘘の付けないところでもある。
レディは何故「レディ」なのか。
   
淡々と映画は進む。
自殺者、合田、半田の行動。
理解されるための情報はあったと思う。
そして、映画は幕を閉じる。
残る疑問は1つだ。
   
物井清三は事件に直接関わったのかどうか。
   
映画から、犯行を画策したのは物井清三だと分かる。
しかし1度たりとも彼の犯行シーンは画として見られなかった。
そのために、ぼくは映画を認められなかったのかもしれない。
もしくは、これこそが「想像」する部分なのかもしれない。
    
意図的な演出として考える。
清三をアクティブに動かさないことで得られる重厚感。
それは控えめな強調なのかもしれない。
   
「あんたらには、わかりやしないよ」
  
静かな怒り。
その怒りに向けられた3本のビール。
事件は終わり、レディと物井は雪を見上げる。
ケーキ。レディが笑った。終。
    
この映画がどういった映画かは理解しているつもりだ。
その上で評価を下した。
良いとする人間。悪いとする人間がいるだろう。
たまたま、ぼくは悪いとする人間になった。
ぼくが「レディ・ジョーカー」で言い残したことは、もうない。 read more

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12.24,2004 CATEGORY: 最近、思うこと

最近、思うこと

小曽根真trio「Dear Oscar」

何かJazzを聴きたいと思ったら、とりあえずかける一枚。
アルバムの完成度としては「So Many Colors」が一番だと思っているけれど、何でかなぁ。
きっと、小曽根真の音楽だー、とか関係なしに、
ただJazzが聴きたいからこのCDになってしまうのだと思う。
冬とJazzは相性が良い。
   
このニュースに軽い衝撃を受けた。
5万ドル。500万円。
飼主の受け止め方次第だけれど、
同種の別ネコを選ばなかった時点でそれは決まっているのかもしれない。
命は舞い戻る。500万円で。
科学は貪欲なれ。法は人間を止められない。
法で世界が救えるのなら戦争は起こらない。
人のクローンは成否を別に、チャレンジはすでに行われていると思う。
ぼくが科学者なら、純粋に興味で突っ走るはずだ。
そうでなければ科学者ではない。
倫理なんてつまらないものは、些細な障壁に過ぎないのだ。
自分のクローンとの対峙を夢見る科学者。
あぁ、PTAに怒られちゃう。
20041224175128.jpeg
しっかり働いてるの?
ニコニコ今年の冬は暖かいだとか、
猛暑の残暑だとか遅い紅葉がキレイねウフフだとか、している場合じゃないでしょう。
気象予報士はもっと伝えるべきことがあるはずだ。
温暖化は確実に進んでいる。
アメリカを何とかしろ。
正論が行えなくとも、言えるメディアであるべきだ。
あの国は映画「デイ・アフター・トゥモロー」にすら情報規制をした。
本当に温暖化の問題は深刻なのだ。
気象はデータだ。
スポンサーへの配慮が少なくすむところなのだから、恐れず声をあげて伝えてください。
20041224182149.jpg
その先に何があるのか?
父さんがレベル99を目指すと意気込んでいる。
その行為はシュールだ。実に。
何が楽しくてがんばるのか、ぼくには理解出来ない。
カジノでひたすらスロットを回す。
洗礼されたレベル上げを黙々とこなす。
背景にあるのは仏教大国?
……まさか。
カジノで7万枚を稼ぎ、
はぐれメタルでレベル上げにいそしんだぼくが言えた義理ではないのだけれど。
20041224183045.jpg
今年の劇場映画は「ベルヴィル・ランデブー」が最後になると思う。
「レディ・ジョーカー」で終わらせたくなかったから、命削って観てきたけれど、
ベルヴィルがハズレじゃなくて良かった。
20041224184342.jpg
良かった良かった。
   
天皇の存在理由が分からない。
盛り上がっているように見せかけるメディアが分からない。
皇族は被害者なのだと思う。
やりたいことも出来ない。宿命。
いいよ、もう。やらなくて。
やりたいというなら女帝でも何でも、どうぞカタチ作ってください。
女帝がどうのもめるのは政権が天皇にあった時代。
別に今の時代なら、問題にもならないことなのだけれど。
でもなぁ。
辻元清美は潰されたよなぁ。
   
野球界はまだまだ。
岩隈問題は世間に恥を晒しているだけ、というのが分からないのだろうか。
光あるところに影あり。
前向きに、影あるところに光あり、とでも考えておこうか。
考えたってこの寒さはどうにもならないのだけれど。
震えて凍えて、本日帰結。

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12.23,2004 CATEGORY: Free

ひよこ の歌

高畑勲の頭脳に、ぼくは勝てる気がしない。
簡潔な文章。
何故、ああも的を得たことを言えるのだろう。
長い時間をかければ書けるだろうか?
ダメだな。
それなりのものを書けたとしても、彼には勝てない。
ぼくは大人を目にしている。
尊敬に値する大人を。
   
HNはない。
あったとしても意味はなさない。
ぼくの知らない名前のない誰かが言っていた。
    
「この作品は、プチインテリが気に入りそうな作品である」
   
プチインテリ。
そんな言葉、初めて聞いた。
この表現の良し悪しは置いておくとして、意味自体は評価したい。
そういった層は確かにあると思う。
それは、他ならぬぼくのことではないか。
高畑勲をインテリとしよう。
あぁ、ぼくはプチインテリだ。
  
こうも思う。
インテリはプチインテリを通って、インテリとなったはずだ。
ごく自然な成長過程。
だから、ぼくがプチインテリであったとしても恥ずべきことじゃない。
けれど、今の自分の恥ずかしさは知っておくべきだと思う。
ぼくは恥を晒している。
あぁ、もう恥ずかしいんだって。
   
トルストイだとか、ドストエフスキーだとか、カフカだとか、
カントだとか、フロイトだとか、三島由紀夫だとか、そういったものに意味はあるのだろか。
古典を読むことに意味はあるのだろうか。
彼らがとくに大切なことを教えてくれるわけではないと思う。
現代人にだって、良いことを言っている人はたくさんいる。
古典吸収という行為は、怯えによるところが大きく、ぼくは怯えているだけなのかもしれない。
     
国、イデオロギー、個人、宗教、すがりつくものなど何1つない日本にて。
ぼくは視覚的で印象的なものにかろうじてしがみついている。
それ以外に何もない。何も見つけられない。
  
閉塞感。
開放されるのを待っている。
その時、死のうと思っている。
   
そして死んだ人達は大勢いる。
ぼくは死ぬだろうか。
そこまで辿り着けないかもしれない。
高畑勲は辿り着いた?
    
糸井重里の言葉が気になっている。
「映画は本当に必要なことを教えてくれない。外行かなきゃね」
なんてことを言っていた。
映画鑑賞という行為を前にして、ぼくはこの言葉を頭で繰り返す。
鑑賞後、再吟味。
この行為に意味はないのだろうか。
幻想だとすれば、あるように思わせているものは何なのだろう。妄想はどこまでのものなのか。
    
風景にすがりつくことさえ許されないぼくがすがりつけるもの。
記憶。
脚色され捏造されにされた「良い思い出」たち、か。
ストップをかけられない夢が無邪気にナイフを突きつける。
その先にあるものは……。
   
ぼくは本を読む。
音楽を聴く。映画を観る。ゲームで遊ぶ。スポーツを観て、ニュースを知る。
ぼくの実態はプチインテリだろう。
インテリとの差は何処にあるのか。
単純に歳月の差ではないと思う。
外の世界を知っているかどうか、ではないか。
   
怖い。恐ろしい。叫びたい。
発作を止めるには……?
庵野秀明が言っていた。
毛沢東の言葉だと思うけど、
「何かを成し遂げるには、3つの条件がある。若いこと、貧乏なこと、無名なこと」。
   
貧乏じゃ外に出られない。
高畑勲は貧乏じゃなかった?
いや、他の偉人達全てに当てはまることじゃない。
では、外界の存在を情報として取り入れさえすれば良いのだろうか。
   
リアルのくれるもの。贈り物。
虚構の世界が生む価値ある心?
行き着く先は分からないし、行き着けるかも分からない。
ただ、人間の歴史上創造が終わった時代はない。
創造は永遠のものなのだ。
ぼくはとりあえず、そこに救いを求める。
以前も似たようなことを言っていたな。
  

世の中には2つの志向がある。
効率的に世を渡る機械的志向。
自らの力で殻を破ろうとする志向。
そして、どちらも嫌だ、という第3勢力である分裂症候群がある。
私はここにいる。
こういう輩は音楽産業とか牢獄とかに幽閉されるだろう。
軽度でガードマン、中度でミュージシャン、重症だと病人、というわけ。
そうS氏は言い切った。
以下、アルバム「千のナイフ」より抜粋。
   
-----------------------------------------------------------------
   
だから、音楽で人を救うなんて絶対できっこない。
救われないと思っている奴らの嘆き節なんだから。
かくいう私の音楽もまさにこれですね。
立派に嘆きたいと思っていますよ。
どうせ落っこってくるのだから。
   
嘆いて、救われないということすら忘れている、救われない人たちに、
その「救われなさ」を一緒に歌ってほしいと思っている。ホントは。
一緒に死んでください。
   
-------------------------------1978年10月の坂本龍一---------------



結局のところ、ぼくは「救われなさ」を一緒に歌って、一緒に死ぬしかないのかもしれない。
それが高畑勲への道である、とまでは思わないけれど可能性はある気がする。
音楽聴いて、やって、本読んで、映画観て、
ゲームして、スポーツ観て、ニュース知って、何かを書く。
もちろん、人間的な営みも。
  
ひよこ は悩む。
ひよこ は歌う。
ひよこ は吼える。

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12.22,2004 CATEGORY: 映話

式日[SHIKI-JITSU]

評価:★★★★☆
監督 脚本:庵野秀明
原作:藤谷文子「逃避夢」 製作:鈴木敏夫
音楽:加古隆 美術:林田裕至 撮影:長田勇市 ビデオポートレート撮影:岩井俊二 時間:128分
出演:岩井俊二 藤谷文子 村上淳 松尾スズキ 林原めぐみ 大竹しのぶ
20041222020850.jpg   
ジブリ唯一の実写作品。
スタジオカジノとして世に送り出している。
目を引くのは出演項目。
主演がなんとあの岩井俊二ではないか。
同姓同名というオチはなく、本当に本当の岩井俊二監督だ。
その経緯がまた面白い。
この映画は「カントク」と「彼女」の二人芝居を中心に描かれていくのだけれど、
庵野自身とも言える「カントク」の配役に悩んでいた。
そこへ鈴木敏夫が、岩井俊二を紹介してきたらしい。
鈴木敏夫。やはりこの人は恐ろしい。
   
この映画のスタッフは、とにかくその手のものに興味のある方にはたまらないものになっている。
庵野秀明の説明はいらないだろう。
「エヴァンゲリオン」で語りに語りつくされた人なのだから。
加古隆が音楽を担当していることに驚いたと思えば、
松尾スズキに林原めぐみ、大竹しのぶの名前にまた驚く。
その中で「?」が浮かぶ藤谷文子という人は「ガメラ」等に出演していた女優だそうだ。
雑誌にエッセイを寄稿するほどの物書きらしく、
自著「逃避夢」が庵野の目に止まって今回の運びとなったらしい。
本人以外に演じる人はいないと庵野は言っていたけれど、その通りだと思う。
ちなみに、この藤谷という人の父はスティーブン・セガール。
だから何だ、という野暮な指摘はしないように。
ちなみついでに、エンディングテーマはCoccoが、
挿入曲の作編曲に川井憲次、エンドロールの協力欄に伊藤和典の名前がある。
  
その日、いや正確にはその日も彼女は線路に寝そべっていた。
寝そべっていたなんて、彼女に失礼かもしれない。
彼女にはそんなつもりはサラサラないのだ。
彼女は何をしているのか。何をしているつもりなのか。
それは、儀式。
彼女は線路で儀式を行っていた。
   
男は目的もなくただ街を歩いていた。
男はその街を故郷と呼ぶこともあった。
何気なく辿り着いた線路。少女が寝そべっている。
「何してるの?」
少女は悪戯っぽく微笑んでこうヒトコト。
「ヒミツ」
   
男の後を彼女はついていく。
何気なくいる二人。
男は悪い気がしなかった。
男は何故故郷にきたのか。
虚構の構築に疲れきってしまったのだ。
求められているものと、求めているものの差異。現実。
その狭間で苦しむことの意味、戸惑い、拒絶、逃避。
男はカントクであった。
「実写もやりたかったんだけどね」というからにはアニメーションの。
男はタバコを求めている。店にはない。
彼女は男にタバコを渡す。「ありがとう」。
彼女は言った。
「あしたは、なんの日だと思う?」
男は思い当たるところがない。
「さぁ……」
彼女はニッコリ微笑んだ。
「あしたは、あたしの誕生日なの!」
  
次の日、男は彼女を探していた。見つけた。
男は彼女にプレゼントを渡す。
しかし、彼女は受け取らない。
「きみの誕生日だろ……?」
彼女は怒った顔で言う。
「違うよ!あたしの誕生日は明日なの!!」
   
何度も会うことで、男は彼女の循環を知る。
彼女は朝起きてまず屋上へ。
手すりを越えて、考える。
あぶない。今にも落ちてしまいそうだ。
とまどう男。彼女は囁いている。

空がキレイ。
月がキレイ。
パパとママも病んでいる。
みんな病んでいる。
そしてあたしは一番病んでいる。
あたしの血も病んでいる。
血ぐらいはキレイかな。
……見てみようかな。
   
彼女は男のもとへ戻ってきた。
どうやら、それは自分確認の作業らしい。
彼女はそうやって戻ってくる自分を確かめているのだ。
それが終わると線路へ行く。
彼女は聞く。
「あしたは、なんの日だと思う?」
男は言う。
「キミの誕生日だろ?」
   
終わらない明日。誕生日。
今日を明日へと置き換える。
儀式は続く。男の思索も続いてゆく。
   
映画は「1日目 残り30日」というカウントダウンを前提に進んでいく。
一ヵ月後に何かが起こるのだ。
テーマは、現代人が抱える孤独感。
庵野は「エヴァ」で言えなかった全てをこの映画にこめた。
林原めぐみが言う。
「監督は、もうこれでいいのかな、って思いました」
   
これはプライベートフィルムだ。
庵野の庵野による庵野のための映画。
庵野は孤独を描くことから逃れられない。
最新作「キューティーハニー」でもそうだった。
映画は印象的なモノローグが繰り返される。
男の声は松尾スズキが、女の声は林原めぐみが担当している。
男のモノローグ。
   
「彼女を支配している孤独は、まさしくこの世界そのものである。
 けれど人間の心には優しさと慈しみが存在している。その事実を彼女にも知って欲しい」
   
庵野は人に優しい。
   
ぼくは一般的に予想されるであろうパターンの逆パターンを考えていた。
けれど映画は、その部分を語ってはくれない。
観る者の想像へまかせ、物語は一応の帰結を迎える。
恐らく答えは庵野なのだろうと思う。
そう思うと安心する。
   
孤独を抱えた人の想いの具現化。
それを抜群の映像センスで庵野は描いてみせる。
映画はシネスコサイズ、序盤は岩井俊二監督の助言が大いに役立ったそうだ。
そのため、岩井的な画も見られる。
孤独人の想いの具現化。
プライベートフィルムがプライベートでない理由がそこにある。
  
アドリブ重視で、脚本はないといってもいい演出は、最後に奇跡を起こした。
ラストシーン。
物語の結末は書かれていない。
そのため撮影が上手く進まない。
現場の空気が張り詰める。
大竹しのぶは戸惑うし、岩井監督は口を出し始めた。
静観する庵野。
待った。じっと待った。
役者が自然と動き出す。
   
だから、ぼくらは生きられる。そう思った。

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12.21,2004 CATEGORY: ゲームのこと

ドラゴンクエスト8

評価:★★★★
   
堀井雄二がいて
20041221001540.jpg
すぎやまこういちがいて
20041221001639.jpg
鳥山明がいる
20041221001815.jpg
ドラクエはこの3本柱が崩れない。
作り方からして崩れない。
押井守がドラクエは永遠に「ver.1」だと言っていたけれど、まさにその通りだと思う。
今回は、新たにこんな顔が加わった。
20041221002152.jpg
その顔の持ち主は日野晃博。
若くしてレベル5を率いるゲームの担い手。
あれが良かったとか、ここが悪かったとか言うつもりはない。
ただ、ヒトコトだけ言っておこう。
「ドラゴンクエスト8」はドラクエであり、ゲームであった。
3人のドラクエ哲学と1人のゲーム哲学が混じり合っていた。
これは序章なんだと思う。
今やっと歩みを始めるドラゴンクエストというゲーム。
たまらなくかっこいいな。

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12.19,2004 CATEGORY: 映話

ベルヴィル・ランデブー

評価:★★★★
監督 脚本 グラフィックデザイン:シルヴァン・ショメ
プロデューサー:ディディエ・ブリュネール アニメーション製作:レ・ザルマトゥール
美術:エフゲニ・トモフ 音楽:ブノワ・シャレスト 字幕:加藤リツ子 時間:80分
20041219215038.jpg  
アカデミー賞を「ファインディング・ニモ」と争ったという一品。
そんなものを創る製作会社が何処にあるというと、それはフランス。
名前は「レ・ザルマトゥール」。
新たな才能を発掘しつつ、オリジナリティある野心的作品の制作を目的としているらしい。
今までに表れた新人は二人。
今回のシルヴァン・ショメと、あの「キリクの魔女」のミッシェル・オスロがそれに当たる。
「キリクの魔女」と聞けば、それだけでやられたなー、と思う。
アメリカ、チェコ、フランス、世界全体でアニメーションの躍進はめざましい。
これをみると、日本は少し特殊な路線を行っていると言って良いと思う。
前衛傾向とでも言うべきか。
   
戦後まもないフランス。
内気なシャンピオンは、友達も作れなかった。
毎日、ベッドの上で顔を落として沈み込んでいる。
それを見かねたおばあちゃんは、
ピアノにおもちゃの列車、犬などを買い与えた。名前はブルーノと言う。
けれど、シャンピオンの日常は変わらない。
変わったといえば、ベッドの上の住人が一匹増えたぐらいだ。
  
ある日、おばあちゃんは新聞の記事が時々なくなっていることに気づく。
その記事は決まって自転車選手に関わるものだった。
シャンピオンの部屋を見渡すと……、あった。
自転車選手の記事が壁に貼られている。
そうか。この子は自転車に興味があるんだな。
おばあちゃんは、シャンピオンに三輪車をプレゼントする。
   
シャンピオンの喜びようは、見ているこちらまでうれしくなってしまう。
好きなものを手に入れたシャンピオンは、生きる道を見つけた。
シャンピオンは来る日も来る日もトレーニングトレーニング。
おばあちゃんはその厳しい苦しいトレーニングを見守り続けた。
そうしてついに、シャンピオンはツール・ド・フランスに出場するほどの自転車選手にまでなった。
   
ツール・ド・フランス。
シャンピオンの夢が叶ったと言えるだろう。
しかし、その夢の最中に思わぬ事件が起きてしまう。
レース中に脱落していく選手をマフィアが誘拐してしまったのだ。
おばあちゃんを乗せた車は道中パンクしてしまい、シャンピオンから遠く離れた位置にあった。
おばあちゃんはフエを慣らして、運転手をせかす。
シャンピオンに追いつくんだ!
車は再び走り出す。
おばあちゃんは見つけた。
道端に横たわるシャンピオンの自転車を。
   
大変だ。
おばあちゃんはブルーノの嗅覚を頼りにシャンピオンの捜索を始める。
辿り着いたは大都会ベルヴィル。
お金はない。
手がかりもない。
それでも、おばあちゃんとブルーノは歩き出す。
   
観終わって思ったのは、この作品にアカデミー賞は似合わないな、ということ。
街の片隅でヒッソリコッソリ上映されて、ヒッソリコッソリ楽しむ映画、という気がした。
前述の通り欧州タッチの絵本を思い出して、懐かしい気持ちにもさせられる。
何よりこれはサイレント活劇。
声がほとんどないのだ。
それぞれの息遣いとジェスチャーが全てを語ってくれる。物言う無口。
画の魅力がとにかくすさまじい。
それを引き立てる音楽も個として成り立っており、画すらスウィングしているように見せてしまう。
歌うはマシュー・シュディ。
それらたぐいの音楽とは別に、BGMの使い方が憎い。
海を渡ってベルヴィルへ向かうシーンのBGMはやられた、と思った。
これはフランスなんだと思う。
フランスだからこそ生まれえたアニメーションだ。
   
とはいえ、基本構造には手塚治とアメリカが蜜に関わっている。
絵柄と行動、ノリ、ともいう。
ぼくがそういったノリを覚えたのは「タイニー・トゥーン」だと思う。
スピルバーグ製作のアニメーション。
バックス・バーニーが無茶苦茶やったりするのを楽しんで観ていた。
懐かしいな。
そういったノリがベルヴィルで随所に感じられた。
そこにフランス的味付けがなされているのだけれど。
   
ぼくは基本的に子供向けとか、大人向けとか区別はしたくない。
視覚的要素は普遍のものだ、とも思う。
けれど、このホロ苦いアニメーションがフランスでは100万人に認められるのだから、
あぁ、ぼくは嫉妬せざるをえない。

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12.19,2004 CATEGORY: 本話

げんきなマドレーヌ

20041219151909.jpg
  
小さい頃。絵本。マドレーヌ。
   
ぼくにとっての欧州は「げんきなマドレーヌ」だった。
パリ。女の子。
明るい?寂しい?、哀しい女の子。
作者ルドウィッヒ・ベーメルマンスは、
子供時代に両親が離婚し、14歳、なじめない寄宿舎学校生活から逃げ出した。
叔父のホテルで見習いとしてしばらく暮らしていたけれど、16歳、渡米。
その経緯がモロに表れている絵本だと思う。
小さい頃、この本がぼくにくれたものはとても大きなものだった。
それは今でも色あせていない。
いや、今だからこそ得られるものだってある。
   

パリの、つたの からんだ
ある ふるい やしきに、
   
12にんの おんなのこが、くらしていました。
  
2れつになって、パンを たべ、
   
2れつになって、はを みがき、
   
2れつになって、やすみました。


   
マドレーヌはげんきな女の子。
そんなマドレーヌが突然、もうちょうになってしまう。
救急車。手術。目を開けると、真っ白な天井が見えた。
天井のシミがウサギに似ているな、なんて。
「げんき」に含まれた色々な意味が、色々なものを教えてくれる。
この絵本に、子供の頃出会えたぼくは、しあわせものなのかもしれない。

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12.18,2004 CATEGORY: Free

夢の中のレンコン

高校の同級生に、ミス・レンコンを獲ったという女の子がいた。
ミス・レンコン。
あのレンコンである。
円形に、ところどころ穴が開いていてスカスカシャキシャキの歯ごたえを持つ、あのレンコンだ。
恐らくミス・レンコンコンテストなるものがあって、そこに参加して優勝したのだろう。
おめでとう!
ミス・レンコン!
    
夢の中で、矢沢永吉が火を吹いている。
ぼくは最前列に陣取っていて、周りは見たことある顔ばかり。
怒涛のロックンロール。
矢沢が吼える。矢沢が魅せる。矢沢が燃える。
オープニングが終わった。
ふぅっ、と一息いれる矢沢。
「みんな、今日は来てくれてありがとう!」
お決まりのセリフ。
しかし、続くセリフはお決まり外。
「今の曲、どうだった?」
矢沢は観客席にマイクを向ける。
マイクの先にはミス・レンコン。
ぼくは、レンコンがいることに驚いていた。
レンコン、ここで何してるの?
何で矢沢なの?
レンコンは優等生返事で「熱いロックだった」とかなんとか適当に答えている。
いや、ぼくからみれば適当なのだけれど、彼女は本気かもしれない。
レンコンの返事を聞き終わった矢沢は満足していた。
マイクは次へ移る。
アレ?ぼくの前にマイクが来た。
会場全員がぼくを見る。
「矢沢さんの今の気持ちなんだろうな、と思いました」
矢沢は眉毛を吊り上げる。
ぼくは何か癇に障るようなことを言ってしまったのだろうか。
隣の席にいた小・中学校の同級生であるテツくんは「スズらしい感想だね」と褒めてくれた。
そうか。そうかもしれない。今の感想はぼくらしい。
会場の視線は矢沢に移っていた。
けれど、レンコンの視線はぼくから移らなかった。
    
そのライブは、そこでおしまい。
ぼくは何故か、次の場面では映画の主演を務めることになっていた。
共演にはレンコンと誰かと小池栄子と誰か。
ぼくの視点はぼくではない誰かのものになっている。
これは夢なのだ。
カメラは、レンコンと誰かを捕らえている。
二人は胸を大きく見せてアピールしよう、という話題で盛り上がっていた。
女の子の会話。
そこに、小池栄子と誰かがドアを開けて入ってくる。
1部屋に女の子が4人。
続いて、ぼくが入ってきた。
ぼくは4人を見渡す。
わざと、レンコンの胸から、小池栄子の胸へと視線を移した。
ぼくは同情の視線を送りつつ、頷きながらレンコンの肩を数回叩く。
「まぁ、世の中にはどうしようもないこ」
バシッ!!
ありがたい助言を言い終える前にレンコンの鉄拳が飛んできた。
ストライク。ぼくはよろける。
そこへ映画の監督がやってきた。
「君達……、何やってるの?」
ぼくは痛がりながら、監督に言う。
「いえ、愛は痛みを伴うものだって、何処かのお偉いさんが言ってましたよ」
   
ガチャンッ!
幕は閉じて、夢終了。
これは何だったのだろう。
ぼくはレンコンの夢なんて、今の今まで一度たりともみなかったのに。
おかしいな。
青春とはそういうものだったろうか。
ちなみに、ぼくはレンコンのことを、カワイイとも素敵とも思ったことはない。
ましてや、恋愛感情なんて、ね。
   
ただ、時々レンコンを食べると彼女を思い出す。

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12.18,2004 CATEGORY: Free

今日のヒトコト

仲間由紀恵に演技力をつけて、スタイル良くすると……、あら、不思議。
チョン・ジヒョンの出来上がり。 read more

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12.18,2004 CATEGORY: Free

サンタクロースという名の魔法

20041218004815.jpg
一年を通し最もチキンが売れる。12月24日という一日。
理由は簡単。
メリー・クリスマス。
   
それはイブの日だ。
この日本にイブが宗教的にどういう位置にあるのか理解している者は少ないだろう。
第一、意味を求める者自体が少ない。
どうでもいいんだ。
キリスト信者でもないぼくにはどうでもいい。
ここぞとばかりに主要都市で布教活動にいそしむキリスト信者も耳障り程度にしか思わない。
  
イエスを信じろ。
   
彼らはそう言う。
けれど、ぼくには周りの信じるにたる人間との信頼関係を築くことのほうが、
よっぽど有益のように思える。
ぼくにはイエスと手を結んでいる余裕などないのだ。
そんな気配りができれば、まず他に……。
こういう人間に宗教はいらない。
答えのないものに無理矢理答えを見出す。
自己満足の世界。
哲学とはそういう学問だ。
こう、中傷するものも少なくない。
実際、この疑問に真っ向から反論できる人間はいるのだろうか。
なんやかやの理由はいらない。
イエスかノー、そのどちらかでぼくはおなかいっぱいだ。メタファーはいらない。
そんなわけで、イブがどんな日であろうとぼくにとってはある種のお祭りの一つに過ぎない。
品が良いか悪いかの差だ。
そんなお祭りにも見るべきものはある。
   
それがサンタクロースという名の魔法。
  
サンタはいるのかいないのか。
「お前まだ信じてんの?ガキだねー」
「何言ってんだよ!サンタはいるんだよ!!昨日だってオレの用意した特製くつ下に・・・・・・」
どこの小学校でもみられる当たり前の光景。
このような会話に覚えのある者は多いと思う。
そして、精神的な意味で大人になると「昔は……」だとか、
「子供にあげないと……」だとか言い出すようになる。
世の中の答えはこうだ。
   
サンタはいない。大人がサンタの代わりとなり子供にプレゼントをあげる。
    
そうだ。サンタはいない。物理的には。
白い髭をアゴいっぱいにたくわえニッコリ微笑みつつ、
煙突からあき巣もビックリな方法で家々にしのびこみプレゼントを置いたのちすみやかに立ち去る。
その動き、忍者のごとし。
そんなやつがいたらメディアがほっとかない。
当たり前のことだ。
サンタクロースはこの世にいない。
けれど、ぼくは言う。小さいころから言い続けている。
   
「サンタはいるよ」
   
注目すべきは「誰かが子供にプレゼントを贈る習慣」そのものにある。
彼らは誰に命令されてプレゼントを贈るのだろう。
決まりだから……、別に最初から決められていたわけじゃない。
世の風潮はしかるべきところからしかるべく現れる。
そうして、人々はしかるべきところからしかるべく現れた流れにのせられプレゼントを贈る。
これは魔法としか言いようがない。
そして、その魔法に名前を与えるとしたら……、
それはサンタクロースと言わずしてなんといえるだろうか。
今ではプレゼントを贈る相手は子供に限らない。
恋人同士、友達同士、兄弟、もちろん親子。
様々な関係で様々にサンタクロースという名の魔法にかかっている。
そこには常に笑顔がある。
どうやら、現代のサンタはかつてのサンタを超えているらしい。
   
さぁ、そこのあなた。
今年の12月24日は、サンタクロースという名の魔法に踊らされてみませんか。

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12.17,2004 CATEGORY: 最近、思うこと

最近、思うこと

自分で簡易レビューを書くようになって、1つの世界が見えてきた。
レビューサイト同士の繋がりというものが。
書き始めて増えた「?」なトラックバックを考える。
レビューサイトを運営している人の視点では、
自身のレビューがコメント代わりになりうることもあるのではないか。
広告的トラックバックは確かに存在する。
けれど、それとは別のコメントに限りなく近いトラックバックというものも存在している気がする。
MMORPG系へのトラックバックに、そんなものは存在しない。
日記系もないだろうな。
少し、レビューBLOG界というものは特殊なのかもしれない。
    
明日から、6,7観たい映画が封切りされる。
観る時間がないのだけれど。
「レディ・ジョーカー」がアレなだけに「理由」が気になってしょうがない。
大林宣彦なら大丈夫だとは思うけれど。
何とか1,2は観れそうだから、命削って観るかなぁ。
1つ選ぶとすれば「ベルヴィル・ランデブー」しかない。
ぼくのアニメーション嗜好はよほど強いのだろう。
その人の感性がダイレクトに出るというのが原因かもしれない。
世代が一番の原因だとは思う。
ガリンペイロ最新作「ゴースト・シャウト」もちょっと観たい。
観たいというか、テアトル新宿というものが大好きなため、映画館に行きたいというのが強い。
あそこは良い。
イスが良いし、真っ暗になるし、画面も見やすい。
そして、ガラガラ。
つまりそれは日本映画はガラガラです、ということなのだけれど。
これが習性となってしまっているため、
たまに混みあっている日本映画を観るとドギマギしてしまう。
何か場違いなところへ来てしまった気がして。
やっぱ、日本映画はガラガラでナンボっすよ。
   
何か。これは。間違って。ますね。
   
ドラクエがやっと終わる。
が、まだ終わらない。
何と裏ダンジョンをクリアした後、再びラスボスを倒すと真のエンディングなるものが表れるらしい。
もうひとがんばりか。
強敵は別にいる。始めるまでが長いんだよー、な敵が手強すぎる。
   
気がつけば、そろそろクリスマス。
気に入っているので、過去書いたサンタのお話をのっけようと思う。
と思ったのだけれど、過去の文体が少し痛いので修正加えつつ。
またか、という人は思い出す程度でサラッと。
   
「レディ・ジョーカー」について、ずっと考えている。
原作を読んだ人の感想にこんな主旨のものがあった。
「最近の予定調和や純愛ものに辟易していたので、
 こういうカタチのものを求めていました。観て考える映画。良いですね」
映画の至らない部分を観客が必死で補ってやる行為、
と言っても差し支えない「レディ・ジョーカー」。
予定調和、純愛ものは確かに多いけれど、良いものはたくさんあるのになぁ。
映画を観ないからいけない、なんて言わないけれど。
全体が見えていないのに安易なマトメをするのは良くないよ。
原作経験者に言っておきたい。
どうか、落ち着いて観てほしい。
まぁ、余計なお世話か。
悪いものでも、楽しんだほうが得って考えもあるし、楽しいならそれで良いとも思う。
ようは、おかしな考えで偉そうにイバルナ、ってことかな。
イバル人に何言っても仕方ないんだけど。
愚痴か。これは愚痴だ。
  
パクリについて何かとうるさくなってきている気がする。
その見解は以前書いたので、ここでは書かない。
ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」をTheBeatlesの「All you need is love」で批判したくなる?
ぼくは特にならなかった。
   
おかしな位置に収まりつつある現代音楽。
そこからの派生として生まれた電音は、NEWS番組で毎日流されている。
なんだ、世間に認められてるじゃん。
  
対して、追いやられた本家クラシック。
日本が中心となって盛り上がっているカプースチンがどうやら歴史に名を残しそうだ。
もちろん、カプースチンは現役の作曲家。
これからまた、歴史に残る名曲が本当に残されるようになるのだろうか。
まぁ、これだけ音楽の氾濫している時代だから、
クラシックを好む人によって密かに守られていくだけの文化に収まるんだろうな。
   
クラシックに代わって時代の中心となったポップミュージックはやっぱりポップ。
ポップミュージック創成期の曲は語り継がれても、
まさに今流れている曲たちは個人に残るだけで、歴史には残らない。
それでいいんだけど。
だって、死んだらおしまいだしね。
死んだあとのことまで、考えてる人はほんとすごいと思うよ。
   
競馬ゲームのこと。
ぼくは、あんなに好きだった「ダビスタ」を駄作として「ダビつく」に移った人なんだけど、
いつのまにか最新作が発売されていた。
買う気は起きない。
良いものであるとは思うんだけど。
お金と時間がどうもいけない。
ネット対応なら買っちゃうな。
やっぱりネットはすごい。
完全に生活の中心になるまで普及したら、ひきこもりで十分やっていける。
誰かが、ひきこもりは人類の進化系、なんて言ってたな。
自立したひきこもり、はそうかもしれない。
だから小説家になりたいよー、なんて思ってた頃もあったけど。
実際の小説家は体力、気力、足がないとやっていけないと思う。
いや、正確には、ひきこもっても技術でそれなりのものは書けてしまう。
けれど、それだと村上龍の言うような「社会に訴える何か」という部分は希薄になってしまうだろう。
   
で、どうしてシズクさんは書かないんですか?
   
いや、まぁ、そこにはいろいろと込み入った大人の事情というものがあるわけで……。
ぼくは逃避行にかけては胸を張って自慢できる。
さぁ、ダメな匂いがしてきました。
ネガティブネガティブるんるんるん♪、というわけで本日帰結。

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12.15,2004 CATEGORY: 映話

雲のむこう、約束の場所

評価:★★★★
監督 原作 脚本:新海誠
音楽:天門
キャラクター・デザイン 総作画監督:田澤潮 美術:新海誠 丹治匠 時間:91分
出演:吉岡秀隆 荻原聖人 南里侑香
20041216002007.jpg
「ほしのこえ」で知られるようになった、あの新海誠監督が創る初の長編アニメーション。
新海は、一人でいくつかの短編を作ってきたので、今回が人を使う初めての仕事となる。
本人が言うには、あえて長編作品を経験している人の意見は無視したとのこと。
試行錯誤して、自分を追い込み自分らしさを吐き出して創っていったようだ。
あの吉岡秀隆、荻原聖人が出演しているのも見逃せない。
吉岡秀隆という男は何者なのかと思う。
いや、何者かは分かっているのだけれど。
素晴らしい作品と出会い続けているこの幸せ者は、
恐ろしい強運とそれを引き込む人柄の持ち主なのだろう。
   
舞台は、パラレルワールド。
日本が南北に分断された、もう1つの戦後の世界。
米軍占領下にある青森県の中学生ヒロキとタクヤにはある目標があった。
晴れた空にそびえ立つ、どこまで伸びてるのかさえ分からない北の塔。
彼らは塔に憧れ焦がれ、何とか近くで見たいと、
お金を貯めてはパーツ代にして二人乗りの小型飛行機の製作に夢中になっている。
北、と言った。
それは南北の北を意味し、その中間に国境線があることを意味する。
そんなの構うものか。
少年の夢を遮るには、命を絶つしかない。
少年は生きている。
ヒロキとタクヤは夢を追いかける。
   
中学。
ヒロキとタクヤには、憧れている女の子がいた。
その女の子の名前は、サユリ。
彼女の魅力を前にすると、二人は何一つ抵抗出来なくなる。
秘密にしていた計画のことも自然と話してしまった。
興奮するサユリ。
すごいすごいっ、私も連れてって!
ねぇ、いいでしょ?
二人の返事は言うまでもない。
いつか、きっと絶対にあの塔へ行こう。約束だ。
  
中学三年、夏。
突然、サユリが音もなく消えてしまった。
聞けば東京の中学へ転校したという。
ヒロキは思い出す。
「いつも、何かを失ってしまう予感がしてる」
サユリはそう言っていた。
一体、サユリに何があったのだろう。
ぼくは気づいてやれなかった。
いや、サユリが気づかせなかったんだ。
現実を見ろよ。サユリは何も言わずに、ぼくらの前からいなくなってしまったじゃないか。
二人は計画の意味さえ見出せなくなってしまった。
呼吸さえ困難な無気力感に襲われて、うやむやのうちに飛行機製作を投げ出してしまう。
生きる方向性すら失い、逃げるようにヒロキは東京の高校へ、タクヤは青森の高校へと進んだ。
3人はバラバラの人生を歩み始めた。
   
それから3年後。
ヒロキはサユリが原因不明の病により、あの夏からずっと眠り続けているということを知る。
ぼくは気づいてやれなかった。
自分だけが苦しい思いをしているなんて、とんだ思い違いだった。
どうすればいい?
ぼくに何か出来ることはあるだろうか。
サユリを救えるだろうか。いや、救うんだ!
ヒロキはタクヤに助けを求め、何とか光を見つけ出そうとする。
光……、あった。
  
それは、あの約束の場所。塔だった。
サユリは塔と繋がっていた。
塔は世界を消滅させる道具。
サユリが目覚めるとき、塔は目覚め、世界は終わるのだ。
「サユリを救うのか、それとも世界を救うのか」
やるべきことは分かった。
約束の場所。塔。サユリ。
二人は雲の向こうへ歩き出す。
   
映画は大人になったヒロキが故郷である青森に帰るところから始まる。
ヒロキは大人になれたのだ。
この時点で、世界崩壊云々の心配はなく、それは世界観でしかないことを告げられる。
しかし、この回想はそのことを告げるためのシーンでしかなく、結局最後まで時間は戻らない。
映画を観た者にとっては、このヒロキの行動が気になって仕方がないはずだ。
想像してください、ということなのだろうか。
   
初長編アニメーションということもあり、ギコチなさが感じられる。
設定の説明は投げているし、場面の切り替わりが不自然だ。
けれど要所は抑えていて、主題の語り口は、ただただ賞賛するしかない。
監督自ら全てに手を加えているという美しい風景には、宮崎駿に繋がるものさえ感じる。
夕焼けに染まる放課後の教室。
澄み渡った空に広がる雲と丘。
線路にたたずむ少女。
開かれているようで、閉じた都会。
そのどれもが、次代のセンスを感じさせてくれる。
   
主題が一本の筋をなしているものは、どんな問題があっても成り立てる。
音楽を巻き込んだ演出は、どれも間違いなく素晴らしいもので、
強引に観客を、物語を引っ張っていく力がある。
この映画、デコボコ感は否めない。
先の通り、世界観が分かり辛いのと、場面の切り替えがスムーズでないことに起因している。
それでも、納得させられてしまうのは、才能以外の何者でもない。
ポスト宮崎を挙げるのならば、ぼくはこの監督を挙げる。
    
強度ある物語を創りたい。
新海監督はそう言った。
主題がある物語は強い。例え無駄があったとしても。
その無駄は2004年秋に必ず公開させる、というシバリが関係した部分もあるのかもしれない。
一本長編という結果を残しておくと、今後に繋がっていくのだ。
ビジネスとして成り立ちやすくなる。
新海監督は、まずその一歩を、今年の秋に踏み出したかったのだそうだ。
これを創らないことには先に進めない。
焦っていた。
空回りしそうになり、事実空回りだってした。
そんな時、周りのスタッフが支えてくれた。
一人で創り続けてきた新海監督の胸中を察すると涙が出そうになる。
がんばったね。よくやったね。
ただの1ファンが偉そうに、思う。涙する。
   
物語主体の新海作品は、キャラクターやアクションに頼らない。
もちろん、頼る事だって出来るのだけれど、それが絶対の条件になっていない。
これは人類普遍のアニメーション。
そこが、他の監督と違うところだと思う。
物創りの底辺が分かりやすく、気軽に参加出来る土壌が出来ると、その業界は盛り上がる。
いろいろな才能が出てくる。
現在の同人業界の功績は、それを結果で示している。
新海監督といい、良い時代になったものだなぁ。
お金をかけただけでは良い作品は創れない。
エゴでしかないものは創れるけど。
日本の映画業界にも見習ってもらいたいところだ。
   
日々、躍進挑戦する新海監督。
がんばれ新海監督。負けるな新海監督。キミの明日は明るいぞ!
……何だコレ。
とにかく、今オススメの人なのは間違いない。
そして、上記に投げた疑問を自分に返す。
シズクさんも負けてらんないよ。
もちろん、これを読んでいるアナタにも、痛い痛い疑問はストレートで飛んでゆく。

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12.15,2004 CATEGORY: 映話

レディ・ジョーカー

評価:☆
監督:平山秀幸 
原作:高村薫「レディ・ジョーカー」 脚本:鄭義信 撮影:柴崎幸三 時間:121分
出演:渡哲也 徳重聡 吉川晃司 國村隼 大杉漣 吹越満 加藤晴彦 
菅野美穂 辰巳琢郎 岸部一徳 長塚京三 他
20041215191246.jpg
日活が撮影所創業50周年を記念して取り組んだ熱の入った作品。
石原軍団からは、あの1億円男「徳重聡」が出演している。
構想・脚本・製作準備になんと5年もの歳月をかけたらしい。
原作は厚く熱く手強い。
こういったものは脚本に全てがかかっていると言える。
映画は主人公を設けずに、出来事を出来事として淡々と進んでいく。
どう描いていきたいか、は分かる。
その描き方を尊重して、今回のあらすじはそのまま公式HPから引用することにする。
   
<レディ・ジョーカー>と名乗る5人の犯人は、競馬場で知り合い親しくなった男たち。
小さな薬店の老店主、中年のトラック運転手、信用金庫の職員、
町工場の若い旋盤工、下積みのノンキャリア刑事というメンバー。
そしてトラック運転手には、重度の障害をもったレディという12歳の娘がいる。
  
彼らは身のうちに抱えた恵まれぬ境遇を生きながら、
それぞれ異なった心境と理由で犯行に参画し、最大手のビール会社社長を誘拐する。
この事件を巡って、犯行側の心情と動き、被害者である企業内部の混乱、
そしてさらに捜査陣の執念と組織的矛盾などが絡み合う三者三様の人間像。
  
併せて社会的強者と弱者の葛藤、理不尽な差別の問題、
裏社会の不気味な存在までをも描ききって、
原作とは違った意外なクライマックスに突き進んでいく。
   
クライマックスに突き進む。
ふむ。面白い言葉を使う。
ぼくが観た限りでは、この映画にクライマックスなど存在しない。
そして、この映画は「突き進む」ことの嫌悪から始まっている。
いや、ある意味で突き進んではいたか。
   
原作モノを映像化するにあたって、最も重要な役割を担うのが脚本だ。
何を削ぎ落とし、何を重点的に描いていくか。
その作業が映画のデキを決める。
小説ではなく、映画だからこそ出来るものがなければ、それは成り立たない。
原作を忠実に描くことも良いと思う。
それはそれで映画の意味が出来る。
しかし、分厚い原作本の全てを映像化するには、それなりの時間を要する。
「レディ・ジョーカー」はそういった本だった。
原作に忠実な映像化は不可能だ。
では、どうするか。
映画が映画であるための手法を駆使するしかない。
    
これは脚本が悪い。
背景は本で、映像は映画で。
ぼくは問いたい。
これは「映画」なのか。
   
人物達が抱える問題は静かに、そして切実に描かれており派手な演出はしない。
別にそれは良い。
人物の背景を想像すれば、その行動に納得のいく理由が見つかるだろう。
綿密に描いていけば、映像化は不可能だ。
それも分かる。
原作を忠実に表現していくのなら、現実的な映像を淡々と流していくしかない。
それぞれの人生は確かに映像化されている。
だから、これは「レディ・ジョーカー」なのだろう。
もう一度、問う。
この映画は「映画」なのか。
  
俳優達の演技は満足のいくもので、特に半田役の吉川の存在感には圧倒させられる。
ある意味で、日活的な映画かもしれない。
それだけに、余計空しい気持ちにさせられた。

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12.14,2004 CATEGORY: 最近、思うこと

最近、思うこと

カウンターを変えて、実に快適に表示されるようになった。
それに伴い、ぼくは誰でも解析結果が見られるオープンなカタチを継続したかったのだけれど、
運営者であるぼくとアイルしか見られなくなってしまってた。
誰かの暇つぶしになっていたとしたら、申し訳ない。
が、果たして解析を見ていた人なんているのだろうか。
ぼく自身あまり見ていないのだけど、日々記録されるグラフはちょっと面白かったりする。
始めて2,3週間がすでに経っている。
それによると、土日に弱く金曜日に強いことが分かってきた。
弱い強いといのもアレだけど。
基礎構築ということで、
がんばっている(がんばってないけど)映話の内容に左右されるのも面白い。
やっぱりキャパの大きい映画について書くと、数字に反映されるのだ。
単館ものの映画は、書いても書かなくても影響なし。
うーん。面白い。
でも、これはやっぱり自分のことだからなのかもなぁ。
土地別解析でも付けると、みんなの暇つぶしになれるのかもしれない。
というか、土日に弱いというのは、平日の暇つぶしに役立っているということなんだろうか。
だからだから暇つぶしコンテンツに力を入れるというのは、
実のところツボを突いているのかもしれない。
   
で、この解析様が1つ新鮮な情報を運んできてくれたのです。
今、ぼくは「雲のむこう、約束の場所」という映画から逃げ回ってる。
「ハウル」のときもそうだったのだけれど、
ぼくは本当に得るものがあった映画について書くことを避ける。
得るもの、というか心してみた映画、かな。
観てすぐに、簡単に書いてしまっては申し訳ない気がする。
それは自分に自信がないということなのかもしれない。
少しずつ映画の周辺から書いていき、やっとのことで本編を書く。
今もぼくは「あー、書かないと」なんて自分を問い詰めてる。
解析様の情報には本当に驚いた。
それによると「雲のむこう、約束の場所」のレビュー感想リンクというものが存在するらしい。
見てみた。ぼくの書いた周辺がリンクされていた。
  
あれ、まぁ。
  
ぼくは公開してすぐに観て、それから逃げっぱなしなのに。
なんだかすごい力があるものだなぁ、と思う。
この作品は小規模だけれど、確実な力を秘めていてそれに共感する人がいる。
共感した人は行動を起こして、何とか盛り上げようとしている。
新海監督のような歩き始めたばかりの人にとって、これほど元気のでることはないと思う。
いいな、いいな。
ぼくもゴクウの元気玉の手助けをしようと思う。
というドラゴンボールネタをポロッと書くから、
アニメーションの固定観念がなかなか消えないんだよ。
反省。
   
Fc2Blogは今、カテゴリーごとに分けていて、ぼくは「映画」のおうちにいる。
そこで、昨日から新着エントリーが表示されるようになったようだ。
これはあってしかるべき機能だと思う。
思うのだけど、ぼくとしてはあまり芳しくない機能なのかもしれない。
雫さんは筆が無駄に早いのか、記事数が多い。
半分以上は映画に関係ないことを書いている。
セリエやFFについて書いても、恐らくエントリーに表示されてしまうのだろうな。
  
16日から忙しくなる。
本当は23日からだったのに、忙しいからお前こい、というわけだ。
観たい映画が山ほどあったのに、これは痛い。
聴きたかった曲が入ってないのに、
映画もみてないのにサントラ買った「ターミナル」は是が非でも観たい。
高畑勲が絶賛している「ベルヴィル・ランデブー」はもっと観たい。
大林宣彦最新作「理由」だってある。
どうするかなぁ。
それ以前に買ったDVDもまだ観ていないのだけど。
   
DVD。
最近、購入を後悔した映画がある。
「千と千尋の神隠し」だ。
ぼくが買った次の週に民放で放映されるなんて……。
何というか、雫さんという人はこういうツキ回りにいるしかないらしい。
まったく関係なく庵野秀明の「式日」は観ていない。
  
観ていない進まない、といえばドラクエ8。
進むときはスッと進むのに、進まないときは本当に進まない。
シュールがどうのと、のたまってたものは継続中。
カジノは本当にすごかった。
レベル上げより単純な行動をひたすら繰り返す。これはもう作業だ。
その作業の積み重ねが、またつまらないわけではないところが恐ろしい。
そもそもドラクエなんて、ぼくは一度だって感動したことはないんだ。
物語に限定した話だけれど。
ぼくがドラクエについて感銘を受けることといえば、
全体を通した「ドラクエらしさ」にしかないと言っても良い。
今回はレベル5に楽しませてもらっているけど。
物語自体は正直、それほどでもないと思う。
ドラクエ的演出が制約をかけるというのもある。
でも、それで良い。
そうでなければドラクエじゃない。
そこが、進まないときは進まない1番の理由なんだろうけど。
   
手帳について考える。
ぼくには、この手帳の存在意義がまったく分からない。
どうして、人々は手帳を買うのだろう。
買ったとして、それを実用的に利用出来ているのだろうか。
分刻みでスケジュールが決まっている人には有効的なのだろうけど。
普通に考えて、一般人にはいらないと思うけどなぁ。
ぼくが一般人でなく、平均以下の薄っぺらい人生を送ってる可能性も否めない、か。
よし。ネガティブに落ち着いたところで、今日はおしまい。

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12.13,2004 CATEGORY: 映話

僕の彼女を紹介します WINDSTRUCK

評価:★★
監督 脚本:クァク・ジェヨン
撮影:チョン・ハンチョル 字幕:根本理恵 時間:123分
出演:チョン・ジヒョン チャン・ヒョク
20041213183852.jpg
「ラブストーリー」「猟奇的な彼女」と、この路線を地を張っていく行くクァク・ジェヨンの最新作。
主演もまた、猟奇的に続いてチョン・ジヒョン。
この組み合わせでは、期待せずにはいられない。
どんな物語を魅せてくれるのか楽しみで仕方がなかった。
XJAPANの「Tears」が気分を害すると聞いていたので、そこだけが気がかりだったけれど。
   
外で、誰かが叫んでいる。
何だろう。
あ!ヒッタクリだ、捕まえないと!
正義感熱く厚すぎる警察官ヨ・ギョンジンは、店を出た瞬間走り出していた。
追いかけるは目の前を行く一人の青年。
よし、これなら追いつける。
待てぇぇぇえぇ、おりゃーーーー!!
青年を押さえつけるギョンジン。
観念しやがれ!!
非番のためタオルを手錠代わりに、容疑者である青年コ・ミョンウをひっとらえる。
「誤解だ!僕は犯人じゃない!!」
ミョンウの叫びはギョンジンの怒りを買うだけだった。
後に誤認と判明しても彼女は一言だって謝らない。
こうして二人は出会うべくして出会った。
   
それから二人が再会するのに、時間はかからなかった。
偶然のイタズラ、運命というものが二人を引き合わせる。
ドラマチックな展開がそうさせるのか、
ただ単にウマが合うのか必然とさえ呼べる恋に二人は落ちてゆく。
付き合うにつれ、ミョンウは無茶苦茶な彼女の魅力がわかってきた。
よし。僕は決めた。
何があっても僕は彼女を守る。
この人が好きだ。この人こそぼくが守るべき人なんだ。
しかし、幸せな関係はそう長くは続かなかった。
運命はいつも優しい顔ばかりしてくれるわけではないのだ。
   
これが全てではないのだけれど、まず言っておきたい。
XJAPANの「Tears」がなければ、この映画はもっと受け入れられたはずだ。
泣かせるためのシーンに、大音量で日本語歌詞が流れると感情移入の機会を失ってしまう。
せめて英語verにしてほしかった。
予告編では確か英語verだったのになぁ。
   
映画は全編クァク・ジェヨン色全快だ。
ファン・サービスな仕掛けも用意されており、思わずニヤリ。
が、この内容では、おばさんウケする韓国ドラマを受け入れられない層は満足出来ないと思う。
チョン・ジヒョンということで、
どうしても「猟奇的な彼女」と比べてしまうのだけれど、
簡単に表現して、前作と比べるものおこがましい出来だと思う。
   
もちろん、彼女はこの映画でも素晴らしい魅力を際限なく振りまいている。
チャン・ヒョクの清潔感も良かった。
実生活において、二人は先輩後輩の間柄でもあるので、そういった親密感が自然と出たのだろう。
それにしても、どうして韓国映画はみんな黒髪なのかな。
どの映画を観ても主演は黒髪な気がする。
例外もあるのだろうけれど、かなりの高確率で黒髪だと言っておこう。
実際の韓国の若者は、茶髪のほうが多いのに、これはどうしてなのかなぁ。
   
この映画は泣かせるためにある。
どれだけの人を泣かせたか、そこに作品の評価がかかっている。
ぼくはと言うと、まったく涙腺を刺激されなかった。
理由はいくつかある。
まず、基本的な脚本が悪いのだと思う。
猟奇的で描かれていた、二人が恋をする過程というものが上手く描けていない。
意図して省いているのだろうけれど、いつのまに恋人になったのか、なんて思ってしまった。
恋人になってからの親密な関係の描き方は上手いと思う。
ここはサスガだな、と思わせる。
驚くべきことにこの映画にはキスシーンさえない。
にもかかわらず、
濃密な二人の繋がりが伝わってくるのはエピソードの組み立てが上手いからだろう。
順調にいけば、これが良い伏線となり、
クライマックスでは大粒の涙を流さずにはいられないのだ。たぶん。
   
役者は素晴らしい。伏線だってある。
それでも泣けないのは、一重に演出のおかげだと言える。
とにかくクドイ。
ジヒョンを支点にクルクル回るカメラがしつこすぎる。
これでは泣けるものも失笑に変わってしまうよ。
ジヒョンだから、そのクドさも許せる範囲ではあるけれど、
観客を冷めさせるなんて監督失格だ。
今回は「猟奇的」より世界が広い。
そのために、あのテイストが規模を広げて展開されている。
つまり、非現実度がやりすぎて度を越えてしまっているのだ。
が、これは良い。
まだ、許そう。
そうだ。これが韓国じゃないか。
これは予想範囲内だ。うんうん、許すよ。
   
んがっ、クァク・ジェヨンはとうとう犯してはならない過ちの領域に踏み込んでしまった。
二人に降りかかる過酷な運命の始点が、あまりに非現実的なのだ。
あろうことか、ぼくは主題の始まりから気持ちが冷めてしまった。
これでは、役者の迫真の演技も全て台無しだよ。

残念なことに、まだある。
これで最後だ。
監督が得意とする音楽の使い方が、この映画に関しては失敗に終わっていると思う。
日本限定ではあるけれど、XJAPANを始め、
ギョンジンがピアノで奏でるのはサティのジムノペディだったりするのも気になった。
ぼくがピアノに辛いというのもあるけれど。
   
役者は良い。
クァク・ジェヨンテイストは楽しい。
二人の関係には口元が緩む。
しかし、全ての始点が感情移入出来ない。
演出が邪魔をしてシーンごとに水をさしてくる。
この方向性は認めるし、続けてほしいと思う。
猟奇ファンも、まだ見捨てずにいてくれるはずだ。
不完全燃焼の要素を全て活かして、とんでもない次回作を創り上げて欲しい。

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12.13,2004 CATEGORY: Free

ありふれた世界

きらびやかとかゴージャスな人生なんて、そうそう味わえない。
世界はありふれきっていて、今日もそんな日常をすごしてる。
  
クマさんサンタさんもすごしてる。

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12.12,2004 CATEGORY: 映話

エイプリルの七面鳥 [Pieces of April]

評価:★★★★
監督 脚本:ピーター・ヘッジズ
音楽:ステフィン・メリット 撮影:タミ・レイカー 時間:80分
出演:ケイティ・ホームズ パトリシア・クラークソン デレク・ルーク
20041212063617.jpg
小説家であり、脚本家でもあるピーター・ヘッジズの初監督作品。
ある家族の感謝祭(Thanks giving Day)を描いているのだけれど、
日本人には馴染みのない文化かもしれない。
感謝祭とは何か。
それは、アメリカを切り開いた開拓者たちに由来する。
冬。イギリスからアメリカに渡った彼らは、寒さと食糧不足のため半数の人間を失った。
このままではいけない。
生き残った者達は先住民から生きるスベを学び、春、夏と必死に働いた。
そして、収穫の秋を迎える。
うれしかった。
先住民と共に喜び合い、神にめいいっぱいの感謝を捧げて、七面鳥やカボチャを食べた。
これが感謝祭の始まりらしい。
後に11月の第4木曜日を「Thanks giving Day」と決め、
アメリカ人はみな故郷へ帰るなりして家族とささやかな休暇をすごすようだ。
  
こなくていいのに、いつもと変わりない朝はその日も訪れてしまった。
朝を告げる目覚まし時計が憎たらしい。
時計への反抗は、彼氏のボビーに破られた。
仕方なく、エイプリルは朝を認め、特別な一日の始まりを認める。
さて、と。
   
今日は感謝祭。
しかしそれ以上に、彼女にとって、彼女の家族にとって、その日は大切な日だった。
エイプリルは母親との仲違いから、家を出た。
あれから何年が経っただろう。
仲直りする機会を逃し続けて、今の今まで後悔し続けてきた。
ある日、母親の不幸を知らせるメッセージが届く。
それによると、なんと母親はガンの末期らしい。
何時死んでもおかしくない。
なんてことだろう。ああ、イヤだ。後悔したくない。
エイプリルは決心して、何年も疎遠になっていた家族を感謝祭のディナーに招待する。
料理なんてしたことなかった。
でも、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
そうだ。母の好きな七面鳥のローストを作ろう。
こうして、エイプリルの初めての料理は始まった。
   
脚本や演出に不満はない。
ラストの演出は、特に良かった。
小説家の作った映画だな、と思う。
だから、ストーリーを深く味わおう。
  
ぼくは、人の死の関係する物語に弱い。
特にガンの関係したものなんて、最悪だ。
末期ガンの母ジョーイを気遣いつつも、家族はエイプリルの家へ向かう。
何気ないシーンだ。
ただ、道を車が行く。それだけのシーン。
ジョーイは疲れて眠りにつく。眠っていただけなのだ。
夫はその瞬間、妻の顔に何を見たか。
1秒にも満たない永遠の世界は、全ての音を拒絶する。
無音。いや、心臓の音が聞こえる。自分のものだ。
あらぬ考えが脳裏に浮かんでは、払いのける。
夫は妻の顔に優しく手をあてた。
温かい。
大丈夫だ。妻は生きている。
  
これは家族再生の物語であって、エイプリルを中心にそれは展開されるのだけれど、
主題の全ては母親であるジョーイが握っている。
エイプリルのもとへ向かう家族の会話には、常にジョーイへの心配が含まれている。
何気ない会話。特別な会話。
時間がないのだ。この家族に残された時間はあまりに少ない。
出発するときは気丈に振舞っていたジョーイも、
エイプリルの住むNYへ近づくにつれイラ立ちが増してくる。
あの子は何も分かってない!
どうして、ベスもティミーも良い子に育ったのに、あの子だけ!!
再会はうれしい。それは分かっている。
けれどそれ以上に、エイプリルのことが憎くて仕方がない。そして恐ろしい。
あの子は何も分かっていないし、分かろうともしない。
一体、何を考えているんだか。
  
そこで、ジョーイはフと思う。
私はあの子を分かろうとしただろうか?
一度だって、あの子のことを分かってあげようとしただろうか?
ううん、したわ。したじゃない。
私はしたけど、あの子が変でおかしかったのよ!
   
ジョーイは何度となく立ち止まる。
心配する家族。それでも車は確実に前へと進んでいた。
厳格な母親ジョーイは、小さな悪行を楽しむエイプリルを許せない。
この子は悪い子だ。それ以外の何者でもない。
ジョーイはエイプリルを上辺だけで判断し、決め付けその本心を見ようとしなかった。
いや、本当は分かっていたのに、見えていたのにそれを表現する勇気を持たなかった。
長い時間経過がこの母娘の心を強情にして、心を通わせる機会を遠ざける。

映画の邦題は「エイプリルの七面鳥」だけれど、
原題の「Pieces」にはもっと深い意味があるように思われたので、併せて書くことにした。    
身近だから、家族だからこそ許せないことがある。
「後悔してからでは遅いけれど、後悔したっていいんだ。
 もちろん、後悔する前に気づいて行動するのが一番だけどね」
そんなメッセージをぼくは受け取った。
最後に、この監督が寄せた短い文章を添えておく。

      
    
人種も年齢もさまざまな人々に、平等に降りかかる運命。
長年私は、そんな物語を探し続けてきた。
そして私はここで、愛する者の死に直面し、
刻々と刻まれていく時を止めることが出来ないという誰もが経験しうる、
哀しさと切なさを描いたつもりだ。
私は、どれほど我々が時間をすり減らし、どのようにして、
言葉ではなく “ありがとう”や“ごめん”、そして“さよなら”という気持ちを伝えようとしているのか、
ということを皆さんに伝えたかったのだ。
                          ピーター・ヘッジズ

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12.10,2004 CATEGORY: Free

In My Life

20041210232236.jpg

                 There are places I'll remenber
                 All my life,though some have changed
                 Some forever not for better
                 Some habe gone and some remain
  
                 All these places had their moments
                 With lovers and friends I still can recall
                 Some are dead and some are living
                 In my life I've loved them all
   
                 But of all these friends and lovers
                 There is no one compares with you
                 And these memories lose their meaning
                 When I think of love as something new
  
                 Though I know I'll never lose affection
                 For people and things that went before
                 I know I'll often stop and think about them
                 In my life I love you more
  
   
                                  The Beatles

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12.10,2004 CATEGORY: 最近、思うこと

最近、思うこと

くだらねぇな、なんて考える。
  
「浜崎あゆみ」のパクリ記事なんて、創作活動そのものを否定する気なのだろうか。
主題が同じだけで、語り口調はまったく違う。
そんなものまで咎められたら、クリエイターは死ぬしかない。
物語世界で言えば、ほとんどの手法は語りつくされていて、
いかに魅せるか、という点に注目の的は移っている。
歌詞にしたって、そうじゃないか。
くだらないよ。
大体、人々の共感を得られるものなんて限られてる。
大切なのは、その作品の評価だ。
それが認められたのなら、カタチがどうあれ結構なことじゃないか。
   
トラックバックは、ぼくが考えている通りのものなんだろうな。
自分でやってみても、やっぱりそうだった。
宣伝大いに結構、交流目的で気軽にトラックバックを活用するのは良いことだと思う。
ただね。
記事本文を読んでいない、とさえ思えるトラックバックはどうかと思う。
またそう思える人が「人気blogランキング」上位にいたりすると、切ないことこの上ない。
ひとつ、言っておこう。
その人のアイデンティティーを保つための行動に協力してやるつもりなんて、ぼくはない。
まぁ、色々な人がいるし、その結果こんなこともあるさ、ってとこかな。
  
ほしい本がある。

でも、買わない。
お金がない。
お金があれあば、次の映画代にする。
こうして、立ち読みスキルが上がっていくのだろう。
立ち読みのリスクがあるとすれば、それは忘れてしまうことだ。
記憶。ぼくの記憶力は褒められたものじゃない。
何か超記憶術、とかやってたな。
イメージに置き換えて記憶する方法。
イメージねぇ。
  
最近、ずっと坂本龍一の新譜を聞いている。
いや、聞いているというよりかは、ただ流していると言ったほうが良いかもしれない。

坂本龍一に関しては、おかしなプライドがある。
この人の曲に関しては、誰にも負けたくない、というプライド。
プロを含めて。
岡城千歳にだって負けたくない。

コンサートを聴きに言ったけれど、これなら出来るんじゃないか、なんて思ってしまった。
この人のタッチ好きではあるのだけれど。
そして、技術も認めるのだけれど。
世の中には実に多くのピアニストがいて、その人達全てが一流なわけじゃない。
存在を疑うピアニストもいる。
音大卒業して、その音色は何なんだ。
やりたくてもやれない人達に対して失礼じゃないか、なんて思ったり。
底辺がいるから社会は成り立つわけで、どこもそういった層はいるんだろうな。
そして、そういった人たちが生きていけない世界は、脆い。
岡城千歳は一流だけど。
   
新譜「/04」について。
誰がパクッた、パクらない。
程度の低いこと言ってないで、この2つを比べてみて欲しい。


坂本龍一の「BTTB」収録"aqua"、葉加瀬太郎の「VIOLINISM」収録"Once upon a time"、
この2曲、あまりに似すぎている。
面白いもので、坂本龍一は"The end of ASIA"でも細野晴臣とそんなことがあった。
その時、細野晴臣が何と言ったかというと、
未知の力「イエローマジック」の同じ部分に二人とも触れていたんでしょう、なんて。
似たようなテーマで創ったら、同じメロディーの曲が出来てしまった。
そういうことってあるんだろうな。
「/04」に関して言えば、ラヴェルの「ボレロ」を思い出さない人は少ないだろうし、
こんなものを思い浮かべる人もいるかもしれない。

スティーブ・ライヒの「6台のピアノ」。
言い出したら切りがないし、その作品にとってどうでも良いことなのかもしれない。
「/04」は悪くない、と思う。
それでけでもういいや。
  
FF11の12月パッチについて考える。
新ディスクが出て、解約者が続出するなか「満を持して」のパッチだった。
期待していた人もいたと思う。
何だろな。
3ヶ月って、長いようで短いものだけど、開発期間としては十分だと思う。
スクウェアが11をどうみてるのか、今回のパッチで断定してしまって良いんじゃないかな。
主な開発人は他のとこ行っちゃって、
既存ユーザーのことなんてどうでもいい、なんて考えてるんでしょう。
対して、ドラクエは好評価。
少なくとも、プレイした人は全員。
伝わるものは伝わるものだなぁ。
ぼくは今まで「Final Fantasy」はやっぱり、あの「ファイファン」でしかないと思っていた。
どうしたってそうなるしかないんだ、と。
開発人が変わったって、その目指すところは変わらない。
でも、植松伸夫が退社したのは、予想以上に自分にとって大きなことだった。
この人が守っていたんだと思う。
FFがFFであれたのは、この人のおかげだった。
ぼくが映画を作るのなら、この人に曲を依頼しよう。
そんな予定ないけれど。
   
ディズニーがBDについた。
ソニーは満面の笑顔を称えている。気に入らない。
だって、ぼくはDVDをいくつか持ってしまっているのだ。
互換性のないそんなものが普及されたら、どうなる。
レンタルショップには、まだまだビデオがたくさんあるのにさ。
HD-DVDとの対決はこれで5分5分、規格が違う4つのメディアが並ぶなんて考えられない。
世界に混沌を招くだけだ。
決定権はアメリカにあって、彼らは方向性を示しただけで決断はまだ下していない。
驚くべきことに、国内ではすでにBD機器が発売されていて、
引くに引けない段階まで行ってしまっているということだ。
何かなぁ。
まぁ、人の死なない戦争ならいいか。
人の死ぬ戦争を許す世界がこの問題に言及するなんて、おこがましい、かな。
   
清原が哀しい。
彼は分かっているのだと思う。
巨人が清原という男をどうみているか。
そして、その見解はいかに力を発揮しようとも変わらないことを。
それでも巨人にこだわる理由とは。
桑田と離れたくない?
巨人がそんなに好き?
いまの環境が気に入ってる?
男の意地だろか。
つまらない男のつまらない意地。
短い選手生活、そんなもので潰してる時間はあらへんでー。
   
フィオレンティーナの試合がつまらない。
ブーゾは結果を出す必要があるし、そうするしかないのは分かってる。
それでも、こんなサッカーは嫌いだな。
選手の幅に差がありすぎるのだけれど、モウリーニョの結果の出し方は好きだった。
これは「中田」が関わっているためかもしれない。
次節も彼の出番はミッコリとの交代でしかありえないだろう。
現状、彼のようなプレイヤーの出番なんて限られている。
だから、同タイプのヨルゲンセンのほうが危機に瀕している、と思う。
あのデンマーク人には、かつての片鱗すら見られていない。
それでもサポーターの圧力が中田に向けられるのは、やっぱり期待されてるんだろうな。
リガノーだって、どうかと思うけれど。
次はミラン戦。
カカのプレイが楽しみだ。
もちろん、点に絡む活躍は御免被るんだけど。
  
あさっては香港で4つのG1が開かれる。
デュランダルは楽しみ。
ダンスインザムードはやっぱり豊に乗ってほしい。
んでもって、明日は久しぶりのFFか。
なんかなぁ。
植松サウンドが切なくて。どうしよう。
ウダウダ言ってないで、次進むか。
  
そういえば、いくつか映画レビューを書いて分かったことがある。
ぼくはその作品が目指した目的を達しているかどうかで、まず星4つ分の判断を、
残りの1つは気に入ったかどうかで判断してるんだと思う。
全体的には甘めだなぁ。
年末ということもあるんだろうけれど。
今はチョン・ジヒョン主演「ぼくの彼女を紹介します」と、
ジャン=ピエール・ジェネ監督作品、
オドレイ・トゥトゥ主演の「ロング・エンゲージメント」が楽しみ。
来年は「スターウォーズ エピソード3」の公開も控えているんだけど、これどうかなぁ。
前作はヨーダ様が戦っていなければ、なんかもう美麗CGしかみるところがなかった気がする。
あの脚本はすごかった。
おいおい、それは本当の作戦じゃなくて、しっかり裏があるんでしょヨーダ様!
なんて思ってたら、裏なんてなんもなくて「思う存分殺してこい」という最悪の戦争をしかけてた。
時期が時期だけにちょっと複雑だったなぁ。
前夜祭でヨーダ様の戦闘シーンに大喝采浴びせる観客達と観たから、
それほど重く考えなかったけれど。
ジョージ・ルーカスといえば「インディ・ジョーンズ」の製作が遅れてる。
一度出来た脚本をジョージのおっちゃんとスピルバーグ、
それにハリソン・フォード、ってもう全員か、が却下してもう大変なことに。
早くしないと、ハリソンおじいちゃんアクション出来なくなっちゃうよ。
  
そうそう、実は「MODS」光ディスクなるものが開発されていたりする。
記憶容量はなんと1テラ。
大きさはCD,DVDと同程度だそうだ。
イギリスのピーター・トロク博士という人が作ってるんだけど、
資金さえあればDVD並の製造コストで2010年から2015年には実現可能だとか。
時期的にも良いんじゃないかな。
そんな容量何に使うんだって話だけど。
これに比べたら、BDとHD-DVDなんて何がしたいんだか。
  
世の中、理不尽なことが溢れきってる。
他人事じゃないな。
かといって、受動でいるしかないんだけど。
ぼくに出来ることは、ココで自分の声を使ってヒッソリと囁く程度。
それが何かの役に立っているとも思えない。
やっぱり、受動なんでしょう。
後ろ向きに前進んで。さぁ今年もあとわずかだっ。

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12.10,2004 CATEGORY: Free

トラックバックについて思うこと

試してはみたけれど、どうも思っていたのと少し違う。
  
トラックバック
  
一体、コイツは何者なんだろう?
説明を読む限り「相互リンク」ということらしかった。
そうか。それは良いことだ。
お互いの交流が深まるキッカケにもなるし、ウマが合えば素敵な関係にだってなってゆける。
試しに、FFBlog系列を使ってやってみようじゃないか。
そう思って試した結果、確かに「相互リンク」は構築された。
けれど、何かが違う。
  
そうだ。
ぼくが記事の中で、相手サイドについて言及していなかったらどうなる。
「相互リンク」の出発点は、執筆者本人の自主性によるものなのだ。
つまり極端な話、相手サイドへ一方的なリンクを貼り付けることだって出来てしまう。
トラックバックというものは、基本を逸脱して、別の方向へ向かっているらしい。
  
相手に触れずに、相手が興味を持ってくれそうな記事を書きましたよ、
とお知らせするためのトラックバック。
交流という目的は外れていない。
何だろう。
これは、日本人独自の使い方なんだろうか。
トラックバックの説明を読む限り、アメリカではなかった発想なのかもしれない。
  
というのが、今のところの解釈。
でもでも、これが間違っている、ということだってありえる。
やっぱり相互は相互で、何処か別のところに相手先のURLが書いてあるとか。
うーむ。自分でやったときはなかったと思うのだけれど。
よく、分からないなぁ。
宣伝トラバでも、ないよりはうれしかったりするところもあって、
事実、うれしかったりするのだけれど。
うーんうーん。
トラバ伝道師、求む。

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12.10,2004 CATEGORY: 映話

犬猫

評価:★★★★
監督 脚本 編集:井口奈己
プロデューサー:榎本憲男 撮影:鈴木昭彦 音楽:鈴木惣一郎 時間:94分
出演:榎本加奈子 藤田陽子 忍城修吾 小池栄子 西島秀俊
20041210012831.jpg
東京テアトルの提唱するレーベル「ガリンペイロ」系列の作品。
このレーベルは好きだ。
映画が出来るまで、の道筋が分かりやすい。
フジテレビの石原隆が言っていたように「映画への道」は非常に分かりにくい。
ガリンペイロは広告不足とはいえ、1つの形を提出した、と言えるだろう。
   
この映画は1本の8mmフィルムから始まっている。
タイトルは「犬猫」、今回の映画と同様のもの。
つまり、この映画は8mmをリメイクしたものなのだ。
全ての始まりから今日まで数えて、7年間。
監督の年齢は36歳。苦労人である。
公開にあたって本も出されており、そこで経緯が詳しく書かれている。
読んでみると、リメイクにあたって削られたセリフ、生まれたセリフが多々あるようで、
8mm版「犬猫」も見たくなった。
   
スズは、決心した。
関白宣言を堂々と敷く古田と、それに黙って応えてしまう自分。
どちらも我慢出来ない。許せない。
このままでは、いけない。
スズは、古田の家を飛び出し、頼れる友達アベチャンの家へ駆け込んだ。
  
恐る恐る戸を開けて、アベチャンハウスへ潜り込む。
ああ、いけない。
そこには幼馴染のヨーコがいた。
どうして、こんなところにヨーコちゃんが?
聞くとアベチャンは明日から中学へ留学するそうだ。
ヨーコはその間、アベチャンのうちで留守を預かると言う。
  
え?ウソ!
なんで?本当に明日行っちゃうの?
  
アベチャンは、かくして中国へと旅立った。
始まるヨーコとスズの二人暮し。
性格は正反対。好きなものはいっしょ。
ゆらゆら揺られつつ、実は芯の太い二人の関係が、再び回り始めた。
  
「日本映画は魂で創る」とは、誰が言った言葉だったかな。
この映画を観て、改めてその言葉を思い浮かべた。
魂、それは情熱だとか命を削るだとか、そういうものではなくて、
心を込めて、心で描くということ。
この映画も心で描かれていると思う。
  
全編に渡り、監督自身が言うように「ゆる~い」雰囲気が漂っている。
大げさな演出はしない。
感情の起伏に音楽を用いず、実にリアルな世界が展開されている。
それでいて、退屈させないのだ。
行き届いた演出。
何より物事が動き出すタイミングが良い。
無駄がない、とでも言えば良いだろうか。
これは簡単なことではない。
無駄ばかりの日常と無駄のない世界が重なり合う妙技。
違和感のないズレが共感を呼び、観終わってからも嫌味のない尾を延々と引かせてくれる。
   
プロデューサーは映画を成立させなければならない。
そのための榎本加奈子と小池栄子だ。
その他の配役は監督自ら選び抜いている。
この映画はリメイクだ。さて、どうしよう。
この監督は役者への興味を大切にしている人だと思う。
その役者なりの役を認め、尊重し最大限に力を発揮出来るように務める配慮。
驚いたエピソードの1つを紹介する。
監督は撮影前にリハーサルと称し、榎本加奈子と藤田陽子に1ヶ月間交流の場を持たせた。
ジェンガやトランプで遊ばせた。
一応リハーサルと銘打っているので、ジェンガをやりつつ台本を読ませたり。
やがて二人は本当の友達となった。
そういった関係が映画にとても良い効果をもたらしている。
観ているものを、心地良くさせてくれる。
  
映画はゆるい。
それは確かなことだ。
けれど、その1コマ1コマに起きることは、ぼくらにとって辛辣なことで、
はたからみて理解される以上の意味を帯びている。
   
気になる男の子を追いかける。
そこは図書館。
ヨーコは男の子に声をかけない。
声をかけられるのを待っている。
きた!男の子がヨーコに話しかける。
一瞬の会話。喜びと切なさがない交ぜになる。
しばらくして、その男の子の自転車にスズが乗っているのを見かけた。
   
恐らく、ぼくはこの映画を100%の理解まで昇華させることは出来ない。
「女の友情」を描いていることは分かる。
ぼくには妹がいて、いわゆる女の子に対する幻想は持っていない、
とは思うのだけれど、やっぱり本物の女の子に言わせたらダメなんだろうな。
   
「a massage」の言葉が、全てだと思う。
誰かに誇れるような人生を歩んでいるわけではないけれど、
ぼくらは日々傷ついたり、笑ったりして1日をすごしている。
ぼくらは生きている。
  
目を閉じて、深呼吸をする。よし。
映画を後にして、ぼくは再び日常へと生きていった。

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12.09,2004 CATEGORY: Free

a message

20041209161404.jpg
                   特別でない事を受け入れる事は
  
                   私達が生き残る技術のひとつで
  
                   人生の希望になりうると信じています
  
  
                                    井口 奈己

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12.09,2004 CATEGORY: 映話

ハロー ピクサー

ピクサー
代表作を挙げれば「あー、うんうんアレなとこね」なんて思えるかもしれない。
  
トイ・ストーリー
バグズ・ライフ
モンスターズ・インク
ファインディング・ニモ
  
どれも、興行的に大成功を収めている。
そのCG世界は「素晴らしい」の一言。
しかし、そこに辿り着くまでには、莫大なお金と時間がかかっている。
そもそも、この会社はあのルーカス・フィルムから独立という形で設立されている。
設立から世界初の長編CGアニメーション映画を完成されるまで、費やされた期間はなんと9年。
ディズニーは1991年にピクサーと契約していて、「トイ・ストーリー」の公開が95年だから、
提携抜きで5年間やってきたことになる。
実績のない実力ある会社を出資する、ということは素晴らしいことだと思う。
うんうん、さすがディズニー。  
   
今、ディズニーアニメは衰退傾向にあり、唯一ピクサー系のみが気を吐いているといっても良い。
ピクサー以外で記憶に残っている最近のディズニーアニメって何だろう。
ムーラン、くらいかな。
ダメだな。浮かんでこない。
そういう状況にあって、今年始め、契約延長へ向けた話し合いがなされた。
結果は「Mr.インクレディブル」でも書いたように決裂。
ディズニーもバカだなぁ。何考えてるんだか。
今までの契約内容では、利益が両者に半分ずつ渡っていたらしい。
興行1位を余裕で叩き出すピクサーの利益の半分も貰っていた、というのがもう信じられないのだけれど。
こんなおいしい話をディズニーは今後も継続させていくつもりだったらしい。
そりゃぁ、ピクサー逃げるわなぁ。
全編フルCG長編作品となると、ライバルはドリームワークスのみ。
3,4の大きな開発チームを抱えるピクサーの敵じゃない。
この際、マーケティングも自社でやり始めてはどうだろう。
よほどのことがない限り、軌道にのっていけると思うけどなぁ。
   
スタジオジブリを例にとってみる。
誰が見ても分かるように、宮崎駿がいるから成り立っている会社だ。
3,4年かけて1本作り、そのお金でまた次回作へ望む。
ぼくは高畑勲も好きなのだけれど、経営的には足を引っ張ってるだけなんだろうか。
彼の「ホーホケキョ となりの山田くん」には衝撃を受けた。
これがジブリ。
 
対するピクサーは1本に約4年の歳月をかける。
けれど、毎年のようにピクサー印の作品は出ているではないか。
つまり、何体制も敷いているということなんだろう。
そして、全ての作品がアタル。
これは本当に恐ろしいことだ。
日本では真似出来ない。
何故、真似出来ないのか。
それは根本的に日本と作り方が異なっているということにある。
    
ピクサーはどのような形であれ、ジョン・ラセターという人物が全体を指揮する。
1本に4年かかるのに、何故全ての作品に関われているのか。
それはピクサーが役割分担を徹底しているためだ。
誰が何をするのか。全てが決まっている。
アニメという構造上、監督は何でも口を出したがるものなのだけれど、
割り切り方が潔いのかなぁ。
宮崎駿とその仲間達、という構造だとこんなことは絶対に不可能だ。
  
このピクサー方式は興味深いところが多い。
製作途中に、いわゆる「ま」を掴むためなのか、仮として、製作者による声が入れられる。
その声が、時々プロよりもハマッてしまうことがあるので、
そのまま使用してしまうことがあるのだ。
「Mr.インクレディブル」もそういった作品の1つ。
監督がなんと声優まで担当している。
会社全体を包む柔軟な発想とでも言うべきか。
ディスカッションの重要性は認識していても、
日本ではまだまだ文化的に主張しづらい環境にあると思う。
   
CGに対する考え方も良い。
モーションキャプチャーなんて断じて使わないのだ。
日本では何処かのおバカさんがやってくれちゃったけれど。
アニメーションの表現は、大げさすぎるくらいが丁度良い、という基本を忘れてはならない。
知れば知るほど良い会社ピクサー。
公式HPでは、短編ものが丸々見れてしまう。
何度も言いたくなる。
ディズニー何やってんの。
  
逃がした魚は大きいぞ、っと。

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